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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第三十一火曜日(11/7)

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神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう

ルカ14:15
集会祈願

🌸 第一朗読 (ローマ12・5-16a)

 5わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。 6わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、 7奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、 8勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
 9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 16互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ルカ14・15-24)

ルカによる福音

 15食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。 16そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 17宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。 18すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。 19ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。 20また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。 21僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』 22やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、 23主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 24言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日は、食事にまつわるイエスの4つの教えの最後を紹介しよう。そのきっかけは、ある食卓についた客の一言だった:

 神の国でパンを食べる者は幸いである!

 将来のメシア王国を宴会と結びつけるのは、ごく一般的なことだった。

 イエスはこのたとえ話に応え、自己満足に浸っていた聴衆に警告を発した。聴衆の多くは、神の国でパンを食べることができる少数の選ばれし者の中に自分も入っていると、自惚れた考えを持っていたのだろう。

 ある人が大きな晩餐会を開き、多くの招待客を招いた。しかし、時間が来て、招待客に思い起こさせると、次から次へと来られない理由を言い出した。ある者は土地を買ったばかりで、その点検をしなければならなかった、ある者は牛を買ったばかりで、その試運転をしなければならなかった、ある者は結婚したばかりだった。

 最初の招待状は受理されていたようだが、最後の招待状が来たときには言い訳が並んでいた。実際、どの言い訳もあまり妥当ではない。畑を買ってから見るわけではないし、牛を買う前に試乗せずに買うわけでもない。

 これを聞いて、主人は非常に怒り、召使いたちに、街道に出て、貧しい者、足の不自由な者、目の見えない者、足の不自由な者を連れてくるように命じた。その後、召使いたちは、まだ空きがあると報告したので、道路を探し回り、見つけられるだけ連れてくるように命じられた。主人は言った:

 『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』

 このたとえ話は、イエスからユダヤ人の聴衆への明確なメッセージである。彼らの多く、特に自己満足と思い込みに浸った宗教指導者たちは、イエスに従って御国に入るという招きを拒んでいた。彼らの中には、イエスの死を謀る者もいた。彼らの居場所は、ユダヤ人も異邦人も、以前はのけ者として見られていた人々、自分たちの必要を自覚している人々、「心の貧しい人々」に与えられるだろう。伝統的なユダヤ人からは、神に見捨てられ、罪の中に埋もれているとみなされがちな、貧しい人々や障害者にも特別な場所が与えられるのだ。

 冒頭に戻れば、御国で共に食事をする者は実に幸いであるが、招きに応じる者だけがその特権を享受できることは明らかである。

 私たちは、キリストを拒んだユダヤ人以上に僭越する資格はない。私たちも主の宴会場に招かれているが、その呼びかけに応えることが重要なのだ。私たちは、私たちの主イエスの教えを完全に受け入れ、それを実践することによって、そうするのである。そしてその教えの一部として、私たちもまた、貧しい人、(何らかの形で)足の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人–これらの言葉を最も広い意味でとらえれば–を私たちの共同体に招き入れ、歓迎するのである。

 イエスと同じように、私たちも御国の宴に参加することは決して当然のことではないのだ。

Living Spaceより

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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