祈祷の使徒
🌸「祈る花」🌸へようこそ
2024年10月22日火曜日
毎日のみ言葉と教皇の意向に合わせて、一緒に祈り、祈祷の使徒になるために、主イエスとともに生きましょう[1]
🌸 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。 🌸
朝イエスと共に
「幸福 」
主よ、今日、私をあなたの使命に呼び出してくださったこと、信頼してくださったことに感謝します。
しばしば、メディアに見る幸福は、富や快楽や権力と結びついています。マーケティングは、売るためだけに、実現できないことを約束します。今日、あなたは私に意図を隠すことなく、真の幸福を与え、時代を超えたみ言葉を下さいます。「主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。まことに、あなたがたに告げます。主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕をしてくれる。」(ルカ12:35-38)。
心に静寂をもちましょう。今日、他者に仕えることの真の喜びを発見しましょう。心から祈りを捧げましょう。
アルゼンチン – ウルグアイチーム
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日中イエスと共に
「司牧のこころ」
主に感謝する時を持ちましょう。 自分が今どうであるか、どのようにしてここまで来たか、そしてどう一日を過ごしたいかを振り返りましょう。 シノドスが終わろうとする時、その使命について思い巡らしましょう。
教皇フランシスコは、「共同責任を生きるためには、信徒の養成が不可欠である。養成は使命に向けられなければならない。そうでなければ、単なるイデオロギーに陥る危険性がある」ということを思い出させてくれます。あなた自身の役割において、どのように責任ある協力を体現することができますか?
今月の意向を祈り、シノドス的教会の一員となる恵みを求めましょう。あなたと他の人々が、それぞれが受けた賜物に従って、使命を生きながら共に前進できますように。
アルゼンチン – ウルグアイチーム
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夜イエスと共に
「あなたの眼差しを受けて」
夕暮れ時、一日を振り返る時間を持ちましょう。人々や状況など、自分が受けた賜物、あらゆるものの中に神の摂理を見出しましょう。自分が受けた賜物をどのようにして他の人と分かち合いましたか?
静寂の中で主が語りかけてくださるよう、より良い明日にできるように、注意深く耳を傾けましょう。もし神の愛を誰かに示さなかったり、人を傷つけるようなことを言ったり考えたりしたなら、赦しを求めましょう。
忘れないでください。いつでも新たに始めることができます。これが教会の素晴らしいところです。教会では、自分の過ちを認め、過ちを繰り返さないようにし、誰もが自分の使命を果たす場がある共同体のために何かをすることができるのです。
神に、全ての体験と安らぎを捧げましょう。
「主の祈り」
アルゼンチン – ウルグアイチーム
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[1] 教皇による意向のために毎日3回祈る取り組みとして「祈祷の使徒」(教皇による祈りの世界ネットワーク)本部では2016年より “Click to Pray“(祈りのクリック)が始まりました。すなわち、日々のみ言葉と教皇による毎月の意向に合わせて、毎日、朝と日中と夕に祈る取り組みです。
毎日のみ言葉を味わう
年間第二十九火曜日(10/22)
目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ
集会祈願
🌸 第一朗読 (エフェソ2:12-22)
パウロのエフェソの教会への手紙
12〔皆さん、あなたがたは、〕また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。 13しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。14実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 15規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 16十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 17キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 18それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 19従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 20使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 21キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 22キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
🌸 答唱詩編 詩編85 典81④⑤
アレルヤ唱 典274⑤
🌸 福音朗読 (ルカ12:35-38)
ルカによる福音
35〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
奉納祈願
拝領祈願
🌸 分かち合い
来たるべき日(終末の日)に向けて、よく準備しているようにとの教え。ルカにおいて、終末は決して近い将来のことではないが、同時に、いつのことか誰にもわからない。その日に向けての戒めは何度も繰り返される。それがまさに、教会のときだからである。
このたとえは、本来主人を迎える僕についての話だが、ルカは、同時に、主人自身についての教えも加える。「主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」と。この考えは、最後の晩餐でのルカの記述にも現れる。使徒たちが、自分たちの間で、だれが偉いかと議論を始めたとき、「あなたがたの中で偉い人、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい」と言い、さらに「わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である」(ルカ22.27)と主イエスは言われた。
聖書の中で言われる「仕える」とか「給仕する」とはどういう意味か。現代よく使われる「サ-ビス」とどう違うのか。サービスは、「サービス残業」と言う言葉が使われるように、いつの間にか、対価を求めるものになってしまった。しかし、聖書で言われる「仕える」は、報酬を求めない、ただで与える、しかも、相手に対する尊敬、思いやり、愛をもって行うもの。ヨハネによれば、イエスは、晩餐の席で、自ら弟子の足を洗うことー本来奴隷(servus)が行うことーによって、その意味を明かされ、弟子たちにも同じように行うよう教えられた。神が、そのようなお方であるとは、実に驚くべきことではないか。(S.T.)
🌸 AD MAJOREM DEI GLORIAM 🌸