小教区の教会のために祈る (1月)

年間第二十八主日(10/9)

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あなたの信仰があなたを救った。

ルカ17:19
集会祈願

🌸 第一朗読 (列王記下5:14-17)

 列王記
 14〔その日、シリアの〕ナアマンは神の人の言葉どおりに下って行って、ヨルダンに七度身を浸した。彼の体は元に戻り、小さい子供の体のようになり、清くなった。
 15彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」 16神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。 17ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。

🌸 答唱詩編 詩編98 典149 ①②③

🌸 第二朗読 (二テモテ2:8-13)

使徒パウロのテモテへの手紙 

 8〔愛する者よ、〕イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。 9この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。 10だから、わたしは、選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもキリスト・イエスによる救いを永遠の栄光と共に得るためです。 11次の言葉は真実です。
「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、
キリストと共に生きるようになる。
12耐え忍ぶなら、
キリストと共に支配するようになる。
キリストを否むなら、
キリストもわたしたちを否まれる。
13わたしたちが誠実でなくても、
キリストは常に真実であられる。
キリストは御自身を
否むことができないからである。」

アレルヤ唱 典273 28C

🌸 福音朗読 (ルカ17:11-19)

ルカによる福音
 11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 昨日は、変化の激しい天気が続く中で、暑くもなく寒くもない、絶好の天気のもとで、天使幼稚園の運動会が予定通り開催でき、ほっとしております。大きな恵みをいただいたわたしたちに、今日のみことばは何を語っているでしょうか。

 今日の福音は、皆さんよくご存じの、重い皮膚病(現代では、その多くはハンセン病)を癒していただいた10人の人の話しです。現代、多くの国では、すぐれた治療薬の開発により、ほとんど罹患者はみられなくなりましたが、昔は、日本でも非常に恐れられ、その存在が抹殺されたような状況で生きることを強いられる病気でした。イエスは、その活動の始めから、そうした病気を患っている人に近づき、いやしの恵みを与えられたことがどの福音書にも記されています。

 今日のルカだけが記している話では、10人の病者が、イエスに近づき、「先生、わたしたちを憐れんでください」と、遠くから叫んだと記しています。感染を恐れて家族からも切り離されてみじめな状態で日々を送っていた人々にとって、不思議な力をもっていたイエスは、大きな希望であったに違いありません。イエスは、彼らに近づき、「祭司たちに体を見せなさい」と言われます。万一、その病気が癒された場合には、祭司に体を見せ、回復を確認してもらうことが、律法によって定められていました。そして、そこへ行く途中、彼らの病気は去り、いやされたのです。

 しかし、それを知って、神を賛美しながらイエスのもとに戻り、足元にひれ伏して感謝したのは、ただ一人、しかも、(ユダヤ人と関係のよくなかった)サマリア人だった、とルカは記します。他の9人は何をしたのでしょうか。回復を認めてもらい、健康な人間として人々との交わりに戻るために、祭司のところに行ったかもしれません。その戻って来たサマリア人にイエスは言われます、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と。

 病気の癒しは、神の特別な恵みです。しかし、その恵みがどこから来たのか、それを悟るのは、その人の信仰によるものです。この感謝するために戻って来たサマリア人は、ただ、自分の健康の回復を喜ぶだけでなく、そのいやしが単なる偶然、あるいは幸運ではなく、まさに、神の業であること、イエスという方を通してなされた神のいつくしみのわざであることを即座に悟ったのです。感謝の行為は、まさに、その神への信仰の表れなのです。

 第一朗読(列王記)に記されたシリアの王の軍司令官、ナアマンは、預言者エリシャを通して、同じ病気から癒されたことを、神の業と認識することができました。彼も神の業を感得するセンス、感受性をもっていたのです。イエスは、この出来事を、ご自分の説教(ルカ4章)の中でも触れておられます。

 人間は、とかく、自分に与えられているもの、人からしていただいていることを当然とし、感謝することを忘れます。それは、受けた恵みにだけ思いが向かい、それを与える人、さらには、すべてのよいものの与え主である神への思いが欠けているからです。一人一人の健康のことだけでなく、現代人が受けている様々な恩恵、都会生活の中で当然と思われている、電気、水道、ガス、交通網、情報、そうしたものが、どこから来るか、今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。コロナ禍の不自由な生活の中で、そうした点について、たびたび考えさせられましたが、たとえ、コロナが終息し、かつての状況に戻ったとしても、感謝の心を忘れないよう心掛けましょう。

 今年もまた、猛烈な台風や集中豪雨によって、大きな被害を受け、容易に傷が癒されない方がたくさんおられます。さらには、突然の隣国からの攻撃により、家族も財産も一瞬に奪われ、悲惨な状況に追い込まれた人々のことも思い起しましょう。そして、平安のうちに生きることを許されていることを感謝しながら、同時に、わたしたちが同じ地球に、同じ人間社会に生きることを思い、いただいている様々な恵みに感謝し、そうしたものの与え主である神に感謝と賛美を捧げ、それに日々お応えすることができるよう願いながらミサを続けましょう。(S.T.)

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2 comments

  1. 実はもう10月10日朝五時過ぎだ。
    うっかり!聖イグナチオ教会で教会祭国際ミサだった!今youtubeで知った。仮眠取らないと今日は終日仕事。後で見よか今見たい。このドタバタが変に嬉しい。ぼくの混乱・主の平和!

    返信
  2. あまりに自分が悲惨な状況にあると神への感謝を忘れてしまうが、今、生きていること自体が神に感謝。
    キリストがしっかりと道を身をもって示してくれたから殺されても死ぬことはない。
    キリストの十字架上の死がすべてを明るくしてくれた。

    返信

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