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教皇の意向:女性の役割 (4月)

主の公現(1/2)

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学者たちはその星を見て喜びにあふれた

マタイ2:10
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤの預言60:1-6)

〔エルサレムよ、〕1起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。
2見よ、闇は地を覆い
暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。
3国々はあなたを照らす光に向かい
王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
4目を上げて、見渡すがよい。
みな集い、あなたのもとに来る。
息子たちは遠くから
娘たちは抱かれて、進んで来る。
5そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き
おののきつつも心は晴れやかになる。
海からの宝があなたに送られ
国々の富はあなたのもとに集まる。
6らくだの大群
ミディアンとエファの若いらくだが
あなたのもとに押し寄せる。
シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。
こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。

🌸 答唱詩編 詩編 典

🌸 第二朗読 (エフェソ3:2、3b、5-6)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙

〔皆さん、〕2あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。 3秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。  5この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 6すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ2:1-12)

マタイによる福音

1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 年が明けて、クリスマスをお祝いしてから、すでに10日ほどになる今日、教会は「主の公現」をお祝いします。「公現」と訳される祝いは歴史が古く、東方教会では、クリスマスより古い歴史があると言われます。エピファニーと言われる神秘は、本来、「現れる」、と言う意味ですが、「公現」と訳されると、つい「おおやけ」、「公式」と考えますが、東方教会では、クリスマスから、公現、主の洗礼、カナの婚宴をも含む、一連の出来事を通して、主が自らを人々の世界に現わされたことを記念するのです。本来、人の目では見ることのできない神が、見える形でご自分を示されたということです。わたしたちが属する西方教会では、幼児の誕生(クリスマス)と区別して、「公現」を祝うようになった。

 今読まれたマタイの福音は、東方から星に導かれてやってきた占星術の学者と、ユダヤ人の王として、当時君臨していたヘロデ大王を対比して描いています。天体観測を生業とする学者(マギ)が、突然現れた不思議な星に、神からのメッセージを読み取り、はるばるユダヤの町エルサレムへ、贈り物を携え、礼拝にやってくるのです。他方、自らの地位と権力保持のためには、何もいとわないヘロデは、自分に代わる「ユダヤ人の王」の誕生を耳にし、自らの保身のために、幼児の誕生の場所を確認した上、2歳以下の男の子を皆殺しにする暴挙に出ました。

 どちらも、「ユダヤ人の王の誕生」、あるいは「神が人となる」と言う未曽有の出来事に対して、人間が取りうる対照的な態度を表しています。富と地位と権力を一手に握る者にとって、「王の誕生」は、自己の安全を脅かすもの、そのものです。他方、ひたむきな心で、日々を生き、同時に、どこかで、自分を超えた大きな力、この世界を治める知恵、人間の世界の様々な闇を追い払う光を求めるものにとって、それは、まさに救いそのものでした。

 人間の中には、こうした二つの心が潜んでいます。どちらに身を任せるか、それは、まさに、その人次第です。光は輝いています。しかし、イザヤの預言が語るように、「闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」のです。闇の中に輝く光を見るためには、求める心、飢えた心、貧しい心が必要です。へりくだって、自分の小ささ、弱さ、貧しさを認める人に、光は自らを現わされます。自分が光であるかのように、何も求めず、満ち足りている人、自分が何者かであり、それを守ることにのみ関心を示す者に、闇に輝く小さな光は目にとまりません。

 今の時代、人間社会はあまりに多くのものに囲まれ、豊かさと快適さ、スピードと威力に魅了され、小さなもの、貧しいことへの感覚を失っています。それは、人工的な光に感覚が麻痺し、自然の光、真の光に対するあこがれを失った時代、同時に、闇に対する感覚を失った時代と言えるかもしれません。

 コロナという、人類がかつて体験したことのないような、世界規模の災禍は、いわば、真の光に対する感覚を失った人類に対して、自らの闇に気づかせ、真の光への憧憬を回復させるための摂理的な出来事だったと言えるかもしれません。光を認めるためには、自らを光に開くほかに道はありません。光に照らされて、人ははじめて自らの闇を知り、同時に、光るものとなることができるのです。「闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる」。これは、紀元前6世紀、バビロン捕囚から解放されて、祖国復帰が叶い、国を再建し始めながら、様々な障害、困難に直面していたイスラエルに向けられた言葉です。しかし、それは同時に、コロナ禍によって、再三、失意と落胆に見舞われた人類が今、置かれている状況に酷似しているとも言えます。主は、そうした民に希望の光を注がれます。新しい時代の夜明けを告げます。預言者は叫びます、「エルサレムよ、起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く」と。
 
 わたしたちは、主が注がれた光に照らされる恵みのうちに生きています。たとえ小さな光でも、真の光に照らされた光であるならば、人々に光をもたらす光になることができます。闇の中にある、と自覚し、光を求めている人に、光をもたらすものとなりましょう。光そのものである方が、いつも、共にいてくださる方であることを信じ、勇気をもって、歩き始めましょう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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