小教区の教会のために祈る (1月)

年間第三十二水曜日(11/10)

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あなたの信仰があなたを救った

ルカ17:19

聖レオ一世教皇教会博士 記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (知恵6.1-11)

1王たちよ、聞いて悟るがよい。
地の果てまで治める者たちよ、学ぶがよい。
2多くの人々を支配し、
その国々の数を誇る者たちよ、耳を傾けよ、
3あなたたちの権力は主から、
支配権はいと高き方から与えられている。
主はあなたたちの業を調べ、計画を探られる。
4あなたたちは国に仕える身でいながら
正しい裁きをせず、掟を守らず、
神の御旨にそって歩まなかった。
5神は恐るべき姿で直ちにあなたたちに臨まれる。
上に立つ者は厳しく裁かれるのだ。
6最も小さな者は憐れみを受けるにふさわしい。
しかし、力ある者は力による取り調べを受ける。
7万物の主はだれの顔色もうかがわず、
強大な者をも恐れない。
大いなる者も小さな者も、御自分が造り、
万物を公平に計らっておられるからだ。
8しかし、権力者には厳しい吟味が行われる。
9支配者たちよ、わたしはあなたたちに言う。
知恵を学び、職務にもとることがないように。
10聖なる掟を聖なる手段で守る者は、聖とされ、
掟を学んだ者には弁明の道が開かれる。
11わたしの言葉を熱心に求め、慕うがよい。
そうすれば教訓が身につくだろう。

🌸 答唱詩編 詩編33 典46 ①④

アレルヤ唱 典273 ㊹

🌸 福音朗読 (ルカ17.11-19)

ルカによる福音
 11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。 12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

奉納祈願

拝領祈願

🌸 分かち合い

 今日の福音から、「もっと感謝と賛美の心を持たなければならない」という教訓を受け取る必要があると思います。しかし、「感謝し、賛美する」ということは、義務感から来るものではなくて、むしろ自然に心の中からわき上がるものでるはずです。どうしたら心から賛美し、感謝することができるかを考えるために、自分をこの福音の場面の中に置いてみて、このサマリア人の立場からこの物語を味わってみてはどうでしょうか。病気が治った人々はもちろん皆、喜んだはずです。しかし、祭司のところに行く前に、「感謝し」(16節)「賛美するために戻ってきた」(18節)のはサマリア人だけでした。それはなぜなのでしょうか。

 この10人は皆「清くされた」(14節)のですが、1人のサマリア人だけが「自分がいやされたのを知って」(15節)と言われています。「知る」は直訳では「見る、分かる」です。この人がはっきりと意識したことは、「自分がいやされた」つまり「神がこの自分をいやしてくださった」ということだったのでしょう。他の人と違って、そのことを明確に知ったからこそ彼は賛美し感謝することができたのだ、と言えるのではないでしょうか。

 もう一つ考えられることは、ユダヤ人であるイエスが民族の壁を超えて、サマリア人である自分にも目をかけてくださった、ということの中に、ほかの人(ユダヤ人)以上の感謝を感じたのではないか、ということです。「この自分にまでも!」という驚きと感動が、彼をあのような行動に駆り立てたのではないかと思います。

 どちらも、私たちの中に似た経験があるかもしれません。私たちが、本当に神に感謝し、神を賛美するのはどんなときでしょうかということは今日の福音書によって、考えさせられたのです。

 「あなたの信仰があなたを救った」(19節)という言葉は福音書に何度か出てきますが、考えてみれば不思議な言葉です。「神があなたを救ってくださった」というほうが自然ではないでしょうか。しかしイエスは意外なほど「信仰」の力を強調しています。

 重い皮膚病だったこのサマリア人の「信仰」とは何でしょうか?それは、この人が自分の病気が治ったことを「神がいやしてくださったこと」として受け取ったということではないかと思います。また自分の身に起こった出来事の中に神とのつながりを発見すること、自分の現実の中に神の働きを見ていくこと、それがここでいう信仰だと言えるかもしれません。そして、病気がいやされたことより、この人が心から感謝と賛美を生きる者となった、そのこと自体だと言ってもよいのではないでしょうか。

 そういう意味で、私たちの霊的な生活の中で、信仰・癒し・感謝という三つの賜物は本当に大切なのです。これらの賜物をもっと深く味あうことができますように。

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