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人の中から出て来るものが、人を汚す

マルコ7:15

聖スコラスチカおとめ 記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記2.4b-9、15-17)

 4主なる神が地と天を造られたとき、 5地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。
 6しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。 7主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 8主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 9主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
 15主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。 16主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。 17ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
 18主なる神は言われた。
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」
 19主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

🌸 答唱詩編 詩編104 典69 ①②

アレルヤ唱 典268 ⑲

🌸 福音朗読 (マルコ7.14-23)

マルコによる福音
 14〔そのとき、〕イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。 15外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」 16† 17イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。 18イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。 19それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」 20更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。 21中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、 22姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、 23これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 主イエスは外から口に入るものは問題にしていません。何を食べるか、器はきよめてあるか、手をきよめているか問題ではありません。問題は人から出るもの、心の中から出てくるもの、これが人を汚すというふうに今日の福音書が語っています。主イエスは「悟りなさい」と言われました。それは病識が大事なように、まず、「認識、気付き」が必要ではないかと思われます。

 さて、今日の個所は人の心の内から出るものを特徴づけて、13個あげました。それを4種類に分けてみて分かち合わせていただきたいと思います。

 まず、一つ目は、神を抜きにして自己中心に考えようとすることです。この箇所では、悪い思い、傲慢、愚かさと記されています。神より自分を上において高ぶった結果、愚かな選択をしてしまうことすらあります。

 二つ目は、本来あるべきでない関係で心を満たそうとしてしまうことです。ここにはみだらな行い、姦淫、好色という言葉で書かれています。性的な逸脱を表す事柄です。一番深い結びつきによる充足を、向かうべきでない人との表面的な関係に求めてしまうことを戒めています。

 三つ目は、物質的なものを手に入れ、豊かな生活を誇ろうとすることです。ここでは、盗み、貪欲と示されています。神が生活に十分なものを与え、満ち足らせてくださっていることを理解せず、自分にとって必要なものを、自分の手で得ようとするのです。

 四つ目は、他人をおとしめて優位に立とうとすることです。ここでは、殺意、悪意、詐欺、ねたみ、悪口と表現されます。人と人とは助け合い、協力し合い、お互いの生活を成り立たせるために良いパートナーであるべきです。しかし、お互いを競争相手とみなし、あるいは自分の生活に邪魔な存在だと見なし、自分の生活を良いものにするために、人に危害を加えることすら企ててしまうということです。

 それでは、心の中にこのような悪いことがないように、どうすれば・どう考えたらいいでしょうか。聖イグナチオが勧めてくださったように、良い側面をよく見つめ、良いことをよく考えたらいいではないかと思います。あるいは、主イエスが何回も教えてくださったように、好きではない人に対して、まずその人のために祈ったらどうでしょうか。

 例えば、忍耐において成長できるよう助けになる具体的な方法をさがしてみましょう。もし、忍耐心を失い始めているとわかったら、誰が私たちを待たせていようがその人のためにアヴェ・マリアの祈りや主の祈りなどを唱えてみたらどうでしょう。そして、私たちがもっと落ち着いて、また兄弟姉妹愛をもって彼と(彼女と)対話できること、聖母マリアが助けてくださるよう願ったらいいではないかと思います。

 すぐに結果が出ないかもしれません。でも大丈夫でしょう。変わるには時間がかかると思います。それに神の慈しみはいつでも私たちに用意されています。神は私たちが努力していることをよくご存じですし、私たちの努力を喜んでおられます。少しずつ、神の恵みにより、私たちは変化を見始めると考えております。

 聖母マリア、主イエスのお助けによってもっと良い心を得ることができますよう、神の導きを一緒に願い求めたいです。

年間第五水曜日(2月10)
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