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いったい、この方はどなたなのだろう

マルコ4:41
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ11.1-2、8-19)

 1信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 2昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。
 8信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。 9信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。 10アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。 11信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。 12それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
 13この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 14このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。 15もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。 16ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
 17信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 18この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 19アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

🌸 答唱詩編 詩編105 典177 ⑤⑥

アレルヤ唱 典268 ㉑

🌸 福音朗読 (マルコ4.35-41)

マルコによる福音
 35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 38しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 どういうわけか、夕方になって、イエスは弟子たちに湖の向こうに渡るように頼みました。恐らくイエスは弟子たちに何かを教えるつもりだったのかもしれません。ガリラヤ湖には、特別な地形の影響のため、激しい突風がよく起こります。その夜、イエスと弟子たちはそのような突風に遭ってしました。

 船が波をかぶって水浸しになったにもかかわらず、イエスはぐっすり眠っておられました。その間、弟子たちは船が沈むことを恐れて、高い波に対処するのに苦労しました。彼らは焦ってイエスを目覚めさせました。「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか。」イエスは起き上がって、風と嵐を静めました。

 人間も、弟子のように突然起こる苦難に遭遇することがあるでしょう。そうしたとき私たちは怖くてもろいと感じさせます。弟子のように、私たちの生活が突風によって脅かされているときに、なぜイエスは眠ることができるのか理解できません。何よりも神を必要としているのに、なぜ神は沈黙しているのか。

 「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」嵐の中でイエスが安らかに眠るのを見るとき、恐れや非難の代わりに、私たちは安心しなければなりません。イエスがぐっすり眠るのを見ると、怖いものは何もないことが分かるからです。イエスに従い、イエスと共に船に乗って向こう側に渡ります。もちろんイエスと一緒に向こう側に渡るとき、必ず雷雨を避けられるわけではなく、ときには私たちは嵐や迫害にさらされることもあります。しかし、確かなことは、神の力への信仰によって、私たちは向こう側にたどり着けて神の喜びに与れるということです。

 今日のイエスの言葉を黙想しながら、私たちはいつも、どんなことにも神に感謝し、信じることができるように祈りましょう。主よ、私たちの信仰を支えてください。(アン神学生による分かち合い)

年間第三土曜日(1月30)
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