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教会の諸活動や諸団体のために祈る (5月)

年間第十四主日A

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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしに学びなさい。

マタイ11:28-29
集会祈願

天地の主である父よ、御子キリストは、重荷を負う者にいつも安らぎを与えてくださいます。ここに集う私たちが、争いや悩みを抱える世界に、キリストの平和をもたらすものとなりますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (ゼカリヤ9:9-10)

ゼカリヤの預言

〔主は言われる。〕
娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。

???? 答唱詩編 詩編145 典18④⑤⑥

答:いのちあるすべてのものに、
  主は食物を恵まれる。

あなたは恵みと憐みに満ち、
怒るに遅く、慈しみ深い。
その恵みはすべてのものに及び、
慈しみは
造られたすべてのもののうえにある。 【答】

神よ、造られたすべてのものはあなたをたたえ、
あなたに従う人は感謝して歌う。
彼らはあなたの国の栄光を語り、
力あるあなたのわざを告げる。 【答】

あなたの国は永遠の国。
あなたの支配は世々に及ぶ。
神は悩みのうちにある者を支え、
倒れる者をすべて立たせてくださる。 【答】

???? 第二朗読 (ローマ8:9、11-13)

使徒パウロのローマの教会への手紙

 〔皆さん、〕神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。11もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
 12それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。 13肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。

アレルヤ唱 典272(14A)

アレルヤ、アレルヤ。天と地の主である父はたたえられますように。あなたは神の国のことを小さい人々に現わしてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (マタイ11:25-30)

マタイによる福音

そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

奉納祈願

いのちあるものに食物を恵まれる神よ、この供え物と共に、私たちの祈りを受け入れてください。主キリストの体をいただく私たちが、高ぶることのない主の心にもあずかることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

天の父よ、いただいた恵みに感謝して祈ります。私たちが、キリストの弟子としてともに軛を担い、自分を低くして人々のために尽くすことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 分かち合い

 今日の福音で、主イエスは「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。…わたしは柔和で謙遜な者…」と述べ、ご自身の謙遜な態度に注意を喚起しています。高ぶる人ではなく、へりくだる人になりますように、このミサを通して主イエスのような心を持つことができる恵みを願い求めましょう。

 「わたしは柔和で、謙遜な者だから」、わたしのもとに来なさい、「わたしのくびきを負い、わたしに学びなさい」と主イエスは私たちに呼びかけています。主イエスのもとに来るならば、すべての重荷や大変な仕事や困難などが消えてしまうというわけではありません。むしろ、主イエスのもとに来て、柔和で謙遜な主イエスに学び、主イエスの心のようになるようにということです。主イエスの心とは愛を持って、いつも愛してくださる神様に信頼し、すべて神様に委ねる心です。

 確かに、愛があれば、愛と謙遜なこころを持っているなら、重い仕事があってもこの仕事を軽く感じていることができます。家庭の生活、また一人暮らしの生活の中には悩むことが多いと思いますが、愛と謙遜な心を持っているならば、この生活は何とか軽く、明るく感じることができると思います。

 例えば、(ベトナムでよくみえる姿です)ある二人が互いに愛していて、男性の方はその彼女を乗せて、自転車に乗りました。坂に登るとき、彼女は彼が疲れたと見て、彼に大丈夫ですかと聞くと、彼はすぐに大丈夫ですよ、しっかり座っていてねと言ったに違いありません。そして、彼は一生懸命坂に登って走っていました。

 とにかく、愛がないと、重い仕事があったら、途中にその仕事を諦めるかもしれません。だからこそ、愛と謙遜な心になるのは非常に大切なのです。更に、いくら大変な生活があっても愛している神様がすぐそばにいて休ませてあげて下さるから、安心すること、楽しみに頑張ることができるでしょう。また疲れてきたときに、失望したときに、主イエスのもとに来て、柔和で謙遜な主イエスに学び、本当の安らぎ、本当の慰めが与えられると主イエスは約束してくださいます。

 休むとはただベッドで横になって、何もしませんという意味だけではなく、むしろもっと大事なことはこころを安らぎにし、精神を慰め、愛の心をもたらし得るために何かをしなければならないということです。イエズス会の中では、互いによく聞こえることは次のようです。休みを取る時に別の仕事をやるということです。これはいいかどうかわかりませんけれども、大切なのは必ず主イエスとの関係を深めようとしながら体も精神も休めるために年の黙想をします。だから、生活のバランスをとるために、こころを安静にし、身体にも精神にも安らぎをする必要があると思います。一日、一週間、一か月、一年間、それぞれ、少しでも静かな場所で主イエスと共に過ごしたら人生は何か変わると思います。

 最後に真の安らぎを得る方法は恐らくただ一つしかありません。それは、主イエスのもとに来て、主イエスのもとに柔和で、謙遜な愛の心を倣うことです。そして主イエスの安らぎと慰めを受けたなら、今度は私たちが主に倣って柔和で謙遜な姿勢で、兄弟姉妹に安らぎと慰めを与えなければなりません。どうか、今日の御言葉が私たちの間に実現されるようにお互いに神様に願い求めましょう。

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