教育にたずさわる人たちのために祈る (1月)

年間第九土曜日(6/5)

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この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた

マルコ12:43

聖ボニフャチオ司教殉教者

集会祈願

🌸 第一朗読 (トビト12.1、5-15、20)

 1〔その日、〕婚礼の宴が終わると、トビトは息子トビアを呼んで言った。「トビア、お前と一緒に行ってくれた人に報酬を支払うのをくれぐれも忘れないように。少し多めに払いなさい。」
 5そこでトビアはラファエルを呼んで告げた。「持ち帰って来た物の半分を報酬として受け取ってください。これからの御無事を祈ります。」
 6ラファエルはトビトとトビアの二人だけを呼び寄せて言った。「いつも神をほめたたえていなさい。神があなたがたのためにしてくださった数々の恵みをすべての人々に告げて感謝し、人々が神の御名をほめたたえ、賛美の歌をうたうようにしなさい。神がなさったことを、畏敬の念をもってすべての人々に語り、神に感謝することをためらってはなりません。 7王の秘密は隠されていて当然だが、神のもろもろの御業は明らかにされ、畏敬の念をもって宣べ伝えられるべきです。善い業に励みなさい。そうすれば災いに遭うことはありません。 8真実をもって祈りをささげ、正義をもって慈善の業をする方が、不正を行って金持ちとなるよりも、よいことです。金をため込むよりも慈善の業をする方がはるかにすばらしいことなのです。 9慈善の業は、死を遠ざけ、すべての罪を清めます。慈善を行う者は、幸せな人生を送ることができます。 10罪を犯し、不正を行う者は、自分自身を不幸にするのです。
 11わたしはあなたがたに、真実をことごとく明らかにし、何一つとして隠すことはしません。『王の秘密は隠されていて当然だが、神のもろもろの御業は畏敬の念をもって明らかにされるべきだ』とはっきりとあなたがたに言ったとおりです。
 12さて、今だから言うが、トビトよ、あなたが祈り、サラが祈ったとき、その祈りが聞き届けられるように、栄光に輝く主の御前で執り成しをしたのは、だれあろうわたしだったのだ。あなたが死者を葬っていたときもそうだった。 13あなたが食事にも手をつけないで、ためらわずに出て行き、死者を手厚く葬ったとき、 14わたしは試みるためにあなたのもとに遣わされて来たのだ。神はまた、あなたと嫁のサラをいやすためにわたしをお遣わしになった。 15わたしは、栄光に輝く主の御前に仕えている七人の天使の一人、ラファエルである。」
 20さあ、地上で主をほめたたえ、神に感謝をささげなさい。わたしは、わたしを遣わされた方のもとに昇って行く。あなたがたに起こったすべての事を書き記しなさい。」こう言ってラファエルは天に昇って行った。

🌸 答唱詩編 詩編138 典134 ①③

アレルヤ唱 典272 ㉞

🌸 福音朗読 (マルコ12.38-44)

マルコによる福音
 38イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、 39会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、 40また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
 41イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。 42ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。 43イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。 44皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音は神に対して寛大で信頼深い貧しいやもめの姿を描いています。聖書が語りましたのは、彼女の生活が貧しい、持っている全ての財産はレプトン銅貨二枚だけです。しかし、他の人々と同じ熱心さを持って、彼女は神殿に行き、生活費を全部神様に捧げています。私たちの方から見ますと、このやもめの行動は愚かに見えるかもしれません。彼女は恐らく収入源がなく、これからどのように生活できるでしょう。彼女はどんな動機でこのようなことをしたでしょうか。ただ一つのことが分ったのは、彼女が神様を信頼しているのです。自分の持っているすべてを差し出しても、神様は彼女を養ってくださると信頼しているのです。

 さて、このやもめは乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部神様に捧げています。この姿を見ますと、彼女は寛大な心を持っていると思います。しかし、ここで全部をという表現は、ただこのやもめが払った犠牲の大きさを強調するためではなく、彼女の生きる姿勢、つまりいのちを与えることのできるものへの大きな信頼を強調するためです。

 聖書の語る貧しさは、確かに物を持たない貧乏を意味するが、それだけではありません。貧乏であるから人間的な力に頼ることができず、神に頼ることです。これが聖書の語る貧しさではないかと思います。もちろん、この貧しさはただ精神的な意味にのみ理解されるべきではありません。その根底にある経済的な貧しさを決して忘れてはならないという意味もあります。経済的な貧しさが神への信頼となるとき、聖書の語る貧しさとなるのです。

 つまり、今日の福音書は、神様にすべて委ねて信頼することを教えてくださったのではないかと思います。どうか聖母マリアの取り次ぎによって、福音のために持っているものを捧げることができるよう、また特に自分のいのちを神様にそして人々に捧げることができるよう、この恵みをお願い求めたいと思います。

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