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聖アントニオ(パドバ)司祭教会博士 - 記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (列王記上19:19-21)

 〔その日、エリヤは山に下り、〕十二軛の牛を前に行かせて畑を耕しているシャファトの子エリシャに出会った。エリシャは、その十二番目の牛と共にいた。エリヤはそのそばを通り過ぎるとき、自分の外套を彼に投げかけた。 20エリシャは牛を捨てて、エリヤの後を追い、「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います」と言った。エリヤは答えた。「行って来なさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と。
 21エリシャはエリヤを残して帰ると、一軛の牛を取って屠り、牛の装具を燃やしてその肉を煮、人々に振る舞って食べさせた。それから彼は立ってエリヤに従い、彼に仕えた。

🌸 答唱詩編 詩編16 典98①②

アレルヤ唱 典270(23C)

🌸 福音朗読 (マタイ5:33-37)

マタイによる福音

〔その時、イエスは弟子たちに言われた。〕「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。 34しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 35地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 36また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 37あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

奉納祈願

拝領祈願

🌸 分かち合い

 「一切誓ってはならない」とイエスは言われる。わたしたちには、あまりなじみがないが、誓いということは、イスラエルの人々にとって、イエスの時代でも大きなことであったに違いない。十戒(出エジプト20.16)の中に、「偽証してはならない」という掟があり、レビ記でも偽りの誓いを禁じている(レビ19.12)。旧約聖書の中で、誓いに関する印象的な出来事は、「士師記」(11.29∼39)が伝えるエフタの話。アンモン人との戦いに出るとき、エフタは「もし戦いに勝って無事に帰ることができたら、家の戸口で自分を迎える者を焼き尽くす捧げものとします」と主に誓った。無事、戦いに勝って帰ってきたとき、彼を迎えたのは愛する一人娘だった。誓った以上、それを破ることはできず、エフタは娘を2か月後に誓い通り、主に捧げたと聖書は記す。

 誓いというものがそれだけ重みをもっていた半面、誓いでなければ、守らなくてよいという考えも広がっていたようだ。そこで、イエスは、誓っても、誓わなくても、自分の口から出た言葉には責任をもつように、という意味で「一切誓うな」と言われたのではないか。あまり、「誓う」ということをしないわたしたちにとって、契約、覚書等、書面にすること、印鑑を押すことと置き換えたらどうか。法的な効力の有無ではなく、言葉というものに対して、主のみ前で、責任ある態度を身に着けることを教えておられるのではないだろうか。

年間第十土曜日(偶数年)
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