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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

年間第十八月曜日(8/7)

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イエスは大勢の群衆を見て深く憐れみ、

マタイ14:14
集会祈願

🌸 第一朗読 (民数記11.4b-15)

民数記

 〔その日、イスラエルの人々は〕き言を言った。「誰か肉を食べさせてくれないものか。 5エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。 6今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。」
 7マナは、コエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。 8民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にした。それは、こくのあるクリームのような味であった。 9夜、宿営に露が降りると、マナも降った。
 10モーセは、民がどの家族もそれぞれの天幕の入り口で泣き言を言っているのを聞いた。主が激しく憤られたので、モーセは苦しんだ。 11モーセは主に言った。「あなたは、なぜ、僕を苦しめられるのですか。なぜわたしはあなたの恵みを得ることなく、この民すべてを重荷として負わされねばならないのですか。 12わたしがこの民すべてをはらみ、わたしが彼らを生んだのでしょうか。あなたはわたしに、乳母が乳飲み子を抱くように彼らを胸に抱き、あなたが先祖に誓われた土地に連れて行けと言われます。 13この民すべてに食べさせる肉をどこで見つければよいのでしょうか。彼らはわたしに泣き言を言い、肉を食べさせよと言うのです。 14わたし一人では、とてもこの民すべてを負うことはできません。わたしには重すぎます。 15どうしてもこのようになさりたいなら、どうかむしろ、殺してください。あなたの恵みを得ているのであれば、どうかわたしを苦しみに遭わせないでください。」

🌸 答唱詩編 詩編81 典162 ④⑤

アレルヤ唱 典272 ㉜

🌸 福音朗読 (マタイ14.22-36)

マタイによる福音

 22〔人々がパンを食べて満腹した後、〕イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 23群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 24ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。 25夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 26弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。 27イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 28すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 29イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 32そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。 33舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。
 34こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた。 35土地の人々は、イエスだと知って、付近にくまなく触れ回った。それで、人々は病人を皆イエスのところに連れて来て、 36その服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 パンを増やして5000人に食べさせた出来事の直後に、この湖の上での嵐の話が置かれているのは、何か特別な理由があるのだろうか。
 パンの出来事の中で、弟子たちは、主が大いなる力をもって、わずかのパンで信じがたいほどのことをなさったことを経験した。それは、主の大いなる力の経験であると同時に、自分たちがそこで大きな役割を演じた経験でもあった。ひょっとしたら、自分たちが大きなことを行ったと錯覚したかもしれない。
 これは、イエスの弟子たちだけでなく、様々な形で主の働きに参加するわたしたちも同様に、経験することである。主が働いておられるのに、あたかも、自分が偉くなったような、自分が大きなことを成し遂げたと思う誘惑は少なくない。
 湖での嵐の経験は、まさに、そうした、人間が陥りがちなあやまちを戒めるための大事な経験だったのかもしれない。湖の上で、ひどい逆風を経験する。小舟は、大波にもてあそばれ、まさに、転覆してもおかしくない、そんな恐怖の体験だった。しかも、主ご自身は、共におられない。主は「祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた」とマタイは強調する。そこで、弟子たちは、自分たちの無力の極み、どん底の状態に捨て置かれた。叫んでも、聞いてくれる主がおられない。そこに主が、湖の上を歩いてこられる。これは、十字架の上で一人亡くなられた主が復活して、弟子たちに姿を現されたことの前触れといえる体験かもしれない。そして、マタイは、ここにもペトロらしいふるまいを記すことを忘れない。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. この8月、原爆と終戦を思い、人々のつながりと神様への愛に心を燃え立たせる事が出来ます様に🌻

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