♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

復活節第六金曜日(5/19)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

あなたがたは心から喜ぶことになる

ヨハネ16:22
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録18:9-18)

使徒たちの宣教

 〔パウロがコリントに滞在していた〕9ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 10わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 11パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。
 12ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、 13「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。 14パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、 15問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」 16そして、彼らを法廷から追い出した。 17すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。
 18パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。

🌸 答唱詩編 詩編47 典33①③

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ16:20-23a)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「20はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。 21女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。 22ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。 23その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 晩餐での主イエスの説教の後半、いよいよ聖霊の派遣に焦点が移る。イエスは言われる、「あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」と。
 イエスが十字架で亡くなり、葬られることは、弟子たちにとって、これ以上の悲しみはない、と言えるほど、辛く悲しいことである。ヨハネ福音書には、共観福音書が記す「三度にわたる受難の予告」はないが、ことの起こる前の晩、晩餐の中で触れられる。しかし、イエスは、弟子たちと再会すること、そして、送られる聖霊において、いつまでも共にいてくださることを約束される。そして、その悲しみと喜びを、出産にたとえて説明される。
 「女は子どもを産むとき、苦しむものだ。・・・しかし、子どもが生まれると、一人の人間が世に生まれた喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない」。わたしたちは、皆、母親の苦しみを経てこの世に生を受けた。男であれ、子どもを産んだことのない人であれ、人間すべてに共通した経験、味わうべき神秘がそこにある。それは、出産の時だけでなく、子どもが自分の足で立ち上がり、言葉を発し、次第に母親から自立してゆく過程で、親たるものが皆経験する痛みを伴う喜びの経験である。
「その喜びをあなたがたから奪い去るものはいない」。
 主が与える喜び、人間が自分の力で、努力で、獲得したものでない、深い喜び。十字架の苦しみを通して復活の喜びに至る、その過程こそ、神が人間に無償で賜る恵みそのものなのだ。(S.T.)

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

関連投稿🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comment

  1. パラグアイの人々の祈りに勇気づけられた。インターネット、メール、SNSやめるって書いたが禁酒と同じ。目的は御旨。善用すれば酒もキリストの血になる。

    本日、マザー・テレサ日々のことば5月19日にドキッとした。政治には関係しないと。一畳の仕事場に徹した聴罪司祭と同じく、今、目の前にいる具体的あなたに専心することに徹したマザーならではの言葉だと思う。
    他方、今の教皇さまは政治にもはっきり発言する。勇気に失敗はつきもの。時々、失言して謝罪する。ちょっと違うんじゃない?って言ってくれる人々がたくさんいるって幸せなことだ、羨ましい!

    マザーが言う通り戦争は政治のひとつの結果。ならば、戦争を止めるのも政治の責任。

    政治の世界に首を突っ込んだら愛することをやめることになるでしょう、ともマザーは言う。
    人を愛するとは人を、特に敵をも愛すること(マタイ5:44)。

    死刑判決直後、朴父大統領をゆるした金大中の心があれば、、。

    祈るしかない。

    マザー・テレサは、軍事と経済を一緒くたにし人々を分断する現代政治を直視し、目の前の消えそうな命の母だったからこそ、敵味方に分かれる政治に関わらなかったのだろう。飢えた子どもは、一日食糧が遅れれば死んでしまう。

    祈る前に、この場、この世界との和解を、広義の禁酒を自己に命じた自分との和解をしたかったのです。すみません。

    人々の中で禁酒を撤回した布施辰治が懐かしい。

    返信

コメントする