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教皇の意向:女性の役割 (4月)

復活節第六水曜日(5/12)

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真理の霊が来ると、あなたがたを導いて

ヨハネ16:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録17.15、22~18.1)

  15〔その日、〕パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。
  22パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 23道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 24世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 25また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 26神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 27これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 28皆さんのうちのある詩人たちも、
『我らは神の中に生き、動き、存在する』
『我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。 29わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 30さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 31それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
 32死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。 33それで、パウロはその場を立ち去った。 34しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。
 1その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。

🌸 答唱詩編 詩編148 典20 ⑥⑦

アレルヤ唱 典267 ⓶

🌸 福音朗読 (ヨハネ16.12-15)

ヨハネによる福音
 12〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音朗読は、最後の晩餐で主イエスが弟子たちに向けられた説教からです。ヨハネは、あたかも主イエスの最後の言葉をできるだけ多く記録しようとしたかのようです。彼はそのために4章も充てています。でも、非常に多くのことを共有された後でも、主イエスは十二使徒にもっと言いたいことがあるが、「今、あなたがたには理解できない」と付け加えられました(ヨハネ16:12)。主イエスは何を言おうとされたのでしょうか。

 経験豊かな教師が一回の授業にたくさんの情報を詰め込まないように、主イエスは弟子たちを圧倒することを望まれませんでした。弟子たちはすでに混乱していました。ペトロは、なぜ主イエスが自分の足を洗おうとされるのか首をかしげるばかりでした(ヨハネ13:6-10参照)。フィリポは主イエスに、「わたしたちに御父をお示しください」(ヨハネ4:8)と尋ねました。イスカリオテでない方のユダは、なぜ主イエスは弟子たちに御自分を『現そう』となさるのに、世にはそうなさらないのか理解できませんでした(14:22)。数人の弟子は、主イエスがどこに行かれるのか、いつ再び主イエスに会えるのかと、思い巡らしていました(14:5、16:17)。

 皆さん、私たちは主イエスがもっと多くの情報を与えてくださればよかったのにと思ったかもしれません。もっと端的に言えば、主イエスが私たちの問いにことごとく答えてくださればと望んでいるでしょう。でも、主イエスはそのようにはなさいません。十二使徒へのいくつかの答えは、彼らが主イエスの受難と死と復活を目撃した時に与えられました。

 しかし、主イエスが約束されたように、五旬祭の日にひとたび聖霊を受けてから彼らは真に分かるようになりました。聖霊に聴くことを身につけて初めて、主イエスの言葉が戻って来て彼らの信仰を強めたのです(ヨハネ2:22、14:26参照)。

 同じことが私たちにも当てはまります。実際、すべてを知っているわけではないことには利点があります。知り尽くしていないからこそ、私たちが弱く混乱していると感じているときに、聖霊に向かってより多くの知恵を願い、聖霊に頼るのです。

 最初は神のなさり方が常に理解できないかもしれませんが、時間をかけて聖霊に「導いて真理をことごとく悟らせて」(ヨハネ16:13)ください、と願い続けましょう。辛抱したり、信仰の旅を歩み続ける中で希望をしたり、聖霊が私たちの側におられることを覚えたり、私たちが適切な速さで聖性へと成長するよう聖霊は一度に少しずつ知恵を示したりすることができますように。

(『毎日の黙想』(The Word Among Us)、聖母の騎士社、2021年5月号、12日)

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