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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

復活の金曜日

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主であることを知っていたからである

ヨハネ21:12
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録4.1-12)

 1〔その日、〕ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。 2二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、 3二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。 4しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。
 5次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。 6大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。 7そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。 8そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、 9今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、 10あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。 11この方こそ、
『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、
隅の親石となった石』
です。 12ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

🌸 答唱詩編 詩編118 典87①③

アレルヤ唱 典266(八日間)

🌸 福音朗読 (ヨハネ21.1-14)

ヨハネによる福音
 1その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 2シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。 3シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。 4既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。 5イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。 6イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 7イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。 8ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 9さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。 10イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。 11シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。 12イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。 13イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。 14イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い 

 今日の福音は、復活した主イエスが弟子たちに現れた三度目に、ガリラヤ湖で大漁の奇跡を行ったことを伝えます。この出来事は、主の受難と死と復活という衝撃的な日々の後、故郷に戻り、漁師として働いていた弟子たちの日常生活の中で起こりました。彼らは、それまでのことがなかなか理解できずにいました。なぜ主イエスは救い主であったのに、苦しみを受け、十字架にかけられて死にましたか。そのとき、弟子たちはその出来事を全く理解できませんでした。主イエスがいなくなって、それはすべて失望だと思ってしまいました。すべてが終わったように思われる中、主イエスは弟子たちをもう一度捜すのです。彼らを捜しているのは、主なのです。

 彼らは夜通し漁をしましたが、何も取れなかったのです。何も入っていない網という表現はどんな意味でしょうか。彼らは主イエスと出会い、希望に満たされ、すべてを捨てて主イエスに従ったのに、今どうでしょうか。三年間救い主だと思ったあの主イエスが亡くなられてしまって、全部は夢になりました。これはくたびれ果てて落胆していた、絶望していた漁師たちの心の状態です。主イエスはこのような弟子たちをもう一度捜しに来ました。

 夜明けに主イエスが湖畔に現れました。しかし、彼らはそれが主イエスだとは分かりません。主イエスは彼らに呼びかけ、舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだと。弟子たちはその通りにしたら、奇跡が行われました。ヨハネはペトロに主だと言います。(教会の中にはヨハネのような人がいてほしいですよね)。それで、復活した主イエスの出現がすべてを変えます。闇は光に打ち破られ、むなしい労働が実りあるもの、期待できるものに新たに変わります。疲れて投げやりな気持ちが、新たな意欲と、主イエスがともにいてくださるという確信へと変わります。

 それと同じ感覚が、復活した主の共同体である我々の教会を鼓舞しているのです。私たちは皆、復活した主の共同体です。一見すると、悪の闇や日常のつらさが優位に立っているように見える時でも、教会は、主イエスに従う人の上には復活祭の永遠の光が輝いていると確信しています。復活の素晴らしい知らせは、信者の心に深い喜びと、くじかれない希望を注ぎ込みます。教会は今日も、この喜びにあふれた知らせを響かせ続けます。私たちキリスト者は皆、自分の出会う人、中でも、苦しんでいる人、孤独な人、不安定な状況にある人、病気の人、移民難民などに、この復活のメッセージを伝えるよう招かれています。すべての人に、復活したキリストの力強い慈しみのしるしである、キリストの一筋の光が届くようにしましょう。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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