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天の国は、婚宴を催したのに似ている。

マタイ22:2
集会祈願

🌸 第一朗読 (エゼキエル36:23-28)

 23〔主なる神は言われる。〕わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる、と主なる神は言われる。 24わたしはお前たちを国々の間から取り、すべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。25わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。 26わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。 27また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。 28お前たちは、わたしが先祖に与えた地に住むようになる。お前たちはわたしの民となりわたしはお前たちの神となる。

🌸 答唱詩編 詩編51 典7①②

 :あなたのいぶきを受けて、
   わたしは新しくなる。

神よ、わたしのうちに清い心を造り、
あなたのいぶきでわたしを強め
新たにしてください。
わたしをあなたのもとから退けず、
聖なるいびきをわたしから
取り去らないでください。

救いの喜びをわたしに返し、
あなたのいぶきをおくって
喜び仕える心を支えてください。
わたしはあなたへの道を教えよう、
罪びとがあなたのもとに帰るように。

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マタイ22:1-14)

マタイによる福音

 1そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに〕たとえを用いて語られた。 2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、 13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 マタイ福音書の20章から23章までは、天の国とはどのようなものであるかということを教えてくださいます。昨日はぶどう園のたとえ話によって、神様は私たち一人ひとりを捜しに来てくださり、私たちに気前よくしてくださり、特に主イエス・キリストをお与えになり、天の国に招き入れて下さるということを示しました。その天の国の中で、神様に対しても、他者に対しても神様のようないつくしみ深い目をもって生きる必要があるということを教えてくださいます。

 今日は、王が、王子の結婚披露宴に、人々を招くというたとえ話です。王は神ご自身を、王子は主イエス・キリストを、披露宴は神が与えて下さる救いを表しているようなお話です。

 神様は、ご自身の救いへと人間を招いておられます。たとえその招きに応じなくても関わらず、慈しみ深い神様は救いへと人間を招き続けておられます。そして、私たち一人一人を天の国、救いへと熱心に、へりくだって招いておられるのです。その救いは、また天の国は、結婚式の披露宴にたとえられているごとく、喜びです。神様は、主イエス・キリストにおいて、人間をご自身の喜びの世界へと招かれているのです。神の招きに応じ、主イエス・キリストを信じ、罪赦され、天の国、結婚式の披露宴にたとえられる喜びの中を歩んでいただきたく願っています。

 しかし、度々、神ご自身や天の国を第一に慕い求めていくよりも、「気にもかけず、… 畑に、別の者は商売に行き…(5-6節)」という時が起こってしまいます。日々の選択を、神の御言葉や御旨よりも、目に見えるもの、富や評判を第一のもの、自分の感情や方法や知恵にゆだねてしまった時があります。その結果として、恐れやいらだちに満ちたり、喜びなく、力なく歩んでしまうことになります。だから、そうではなく、神様に拠り頼み、神の御心を求め、御言葉に親しみ神を待ち望み、真の祝福と喜びの中を歩んで参りたいと願います。

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:33)。どうか、聖母マリアのお助けによって、このような意向を願いながら、ミサを捧げ続けましょう。

年間第二十木曜日(8/18)
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One thought on “年間第二十木曜日(8/18)

  • 8月 21, 2022 at 4:06 am
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    女と音楽と政治に弱い私だが、一緒にして失礼だが、おそらく同じ傾向のカルメル会士が勧めてくれた金大中『いくたびか死線を越えて』の冒頭は、岩波新書の羽仁五郎『ミケランジェロ』(ジがチに点点かも)の冒頭と同じく、その言葉にいきなり頭をぶち抜かれる。
    「すべて愛は初恋である」
    嫁いだり娶ったりしない奉献生活者の心、天の国を予感させる言葉だと思う。
    旧約の、神とイスラエルの関係も、今ぱっと聖書の箇所が出て来ないが、パウロも夫と妻を論じながらもキリストと教会について言っている。
    そしてこの世の既婚者も独身者も地球人である以上、未来の子どもたちに対し、また小さな者に対し、初恋の心で接したい。マリア様やキリストが自分にそうしてくれたように。
    うまく言えない!
    このサイトを運営されているイエズス会士が「限界」と言われましたが文字にするのはむずかしい。
    先日、若い韓国人の司祭が、文字は人を殺すが聖霊は人を生かす、と言われました。不立文字。
    聖書の言葉をすぐに実現したいという焦りが誘惑。まさに荒れ野では悪魔も聖書を引用する。
    主よ!あわれみたまえ!
    バイトに行ってきます!

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