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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

四旬節第一主日(3/6)

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あなたの神である主を拝み、

ただ主に仕えよ

ルカ4:8
集会祈願

🌸 第一朗読 (申命記26.4-10)

 4〔モーセは民に言った。〕祭司はあなたの手から籠を受け取って、あなたの神、主の祭壇の前に供える。5あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。 6エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。 7わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた苦しみと労苦と虐げを御覧になり、 8力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、 9この所に導き入れて乳と蜜の流れるこの土地を与えられました。 10わたしは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」あなたはそれから、あなたの神、主の前にそれを供え、あなたの神、主の前にひれ伏しなさい。

🌸 答唱詩編 詩編91 典129 ①②③

🌸 第二朗読 (ローマ10.8-13)

使徒パウロのローマの教会への手紙

8〔皆さん、聖書には〕何と言われているのだろうか。
「御言葉はあなたの近くにあり、
あなたの口、あなたの心にある。」
これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。 9口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 10実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。 11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。 13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

アレルヤ唱 典260(第一主日)

🌸 福音朗読 (ルカ4.1-13)

ルカによる福音
 1〔その時、〕イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、 2四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。 3そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」 4イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。 5更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。 6そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。 7だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」 8イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、
ただ主に仕えよ』
と書いてある。」 9そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。 10というのは、こう書いてあるからだ。
『神はあなたのために天使たちに命じて、
あなたをしっかり守らせる。』
11また、
『あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える。』」
12イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。 13悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「四旬節」という言葉は「40日の期間」という意味ですね。その原型は主イエスが活動を始める前に、荒れ野で40日間の断食の日々を過ごされたという出来事にあります。そこで毎年、四旬節第一主日に、この箇所が読まれます。共観福音書はマタイ、マルコとルカ、それぞれ荒れ野での主イエスの出来事、言い換えれば、悪魔(サタン)の誘惑を受けながら荒れ野に40日間とどまった主イエスの出来事を語ります。今年の典礼は主日C年で、ルカ福音書が読まれているわけです。

 さて、悪魔の誘惑は何でしょうか。皆さんは、毎年この箇所を聞いていますのでよく覚えていらっしゃるでしょう。まず、第一の誘惑は石をパンに変える力によって示される経済的な誘惑です。第二の誘惑はエルサレム神殿の屋根の端から飛び下り、天使に救ってもらうという考えによる見世物(みせもの)的な誘惑です。そして最後に、悪魔を拝む代わりに手に入る権力や支配などへの近道の誘惑です。これらの誘惑の順番はマタイ福音書に語られますが、ルカ福音書では、悪魔を拝む誘惑を他の二つの誘惑の間にはさんでいるという重要なポイントを示されています。これは偶像崇拝であるといい、神を礼拝する代わりに世間のことを楽しむことを選んで優先してしまうという大きな誘惑です。現代人である私たちにとって、この誘惑は本当に考えさせられることになったと思います。

 主イエスはこうしたあらゆる誘惑をきっぱりと退け、罪や世の思いといっさい妥協することなく、御父が定めてくださった道に従い、聖書のみ言葉に基づいて悪魔と戦います。ここでは、主イエスの答え方に皆さんと一緒に注目したいと思います。まず、主イエスは、地上の楽園でエバがしたように、悪魔と対話することはしません。主イエスは、悪魔と対話することができないことをよく知っておられます。悪魔はずる賢いからです。だから主イエスは、エバがしたように悪魔と対話する代わりに、神のみ言葉のうちに逃れることを選び、神のみ言葉の力をもって答えるのです。したがって、私たちがさまざまな誘惑を受けるとき、悪魔と議論してはなりません。むしろ、つねに神のみ言葉によって身を守っている必要があるのです。そういう風に主イエスは今日の福音書の中で教えてくださいます。

 それから、主イエスの答え方の中で、もう一つを注目していきたいと思います。それは悪魔との戦いのとき、自分の言葉でではなく、神のみ言葉をもって戦うならば、私たちは必ずその悪魔の誘惑に打ち勝つことができるというような主イエスのお招きです。神のみ言葉は悪魔を打ち破る力があるからです。だからこそ聖書に親しむことが重要なのですね。聖書を繰り返し読んで、それを黙想し、自分のものにしているならば、いつでも神のみ言葉を使うことできるでしょう。

 とにかく、事実は、神のみ言葉をつねに心に抱いていれば、どんな誘惑も私たちを神から引き離せず、どんな障害も善の道からわたしたちをそらさせません。そして私たちは、自分の内側にも外にもある、日々の悪の誘いに打ち勝つすべを身に着け、聖霊のもとに新しい命を生き、兄弟姉妹、中でも一番の弱い者や困窮者、さらには自分の敵さえも、受け入れ、愛することができるではないかと思います。

 どうか日々生活の中で悪魔の誘惑だと思うならば、まずその悪魔と対話する必要としないよう、そして聖書を開いていただければ、あるいは思い出されたみ言葉で祈っていただければ、場合によって、できるだけ早めに霊的な人と相談していただければ、悪魔の誘惑に打ち勝つことができると思います。神よ、主キリストの霊を私たちに送ってください、その霊は、主イエス・キリストに従うために私たちを導くようにお願いいたします。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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