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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

年間第五火曜日(2/6)

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『父と母を敬え』

マルコ7:10

聖アガタおとめ殉教者(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (列王記上8.22-23、27-30)

 22〔その日、〕ソロモンは、イスラエルの全会衆の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に伸ばして、 23祈った。「イスラエルの神、主よ、上は天、下は地のどこにもあなたに並ぶ神はありません。心を尽くして御前を歩むあなたの僕たちに対して契約を守り、慈しみを注がれる神よ、〔あなたは〕27神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。 28わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。 29そして、夜も昼もこの神殿に、この所に御目を注いでください。ここはあなたが、『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。この所に向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください。 30僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。どうか、あなたのお住まいである天にいまして耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。

🌸 答唱詩編 詩編84 典102 ①②

アレルヤ唱 典270 23C

🌸 福音朗読 (マルコ7.1-13)

マルコによる福音 

 1〔その時、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。 2そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。 3――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、 4また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。―― 5そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」 6イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
 『この民は口先ではわたしを敬うが、
 その心はわたしから遠く離れている。
 7人間の戒めを教えとしておしえ、
 むなしくわたしをあがめている。』
 8あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」 9更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。 10モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。 11それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、 12その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。 13こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の個所は、「汚れ」がきっかけだが、一歩進んで、その奥にある人間の根本的な姿勢についての話と言ったらよいだろう。「汚れ」はイスラエルの宗教だけでなく、日本の宗教やイスラムの中にも強く表れている。神社に行けば、礼拝の前に必ず手を洗い、口を漱ぐ「手水舎」がある。モスクにも、必ず手や足を洗う水場が設けられている。
 イスラエルの人々が大事にしていた「汚れ」についての定めは、本来、祭儀に関するもので、神殿で奉仕する祭司や、神殿への巡礼のために定められたものだが、バビロン捕囚後、異邦人との違いを鮮明にするため、より広範囲、かつ、詳細に規定が定められ、厳しく守られるようになった。それが、今日の福音に繰り返し出てくる、「昔の人の言い伝え」、「人間の言い伝え」、「受け継いだ言い伝え」というものだろう。
 弟子たちが手を洗わないで食事をすることで、非難されたことを受けて、イエスは、「汚れ」に対する態度の奥にある考え方を問題にし、預言者イザヤの言葉を引用して言われる、「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている」と。
 最も大事にすべき「神のことば」は、十戒の中に刻まれ、それを基本とする「律法」に記されている。それに加えて、細部まで規定し、人々に守らせようとする。この人間を縛り、自由を奪い、大事なことを見えなくしている、そこからイエスは人々を解放しようとされた。神の御前で何が大事なことなのか、あらためて問い直してゆかなければならないのではないか。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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