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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第四火曜日(1/30)

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この方の服にでも触れればいやしていただける

マルコ5:28
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ12:1-4)

ヘブライ人への手紙
 1こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 2信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 3あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
 4あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マルコ5:21-43)

マルコによる福音

 〔そのとき、〕21イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。 22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、 23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」 24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
 大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。 25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。 26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。 27イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。 28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。 30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。 31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」 32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。 33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。 34イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」
 35イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」 36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。 37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。 38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、 39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」 40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。 41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。 42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。 43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 昨日に続いて、イエスが行われた不思議な業が読まれた。
この話は、共観福音書がいずれも記すが、マルコは、昨日同様、実に長く詳細にわたって記す。それだけ、印象深い出来事だったに違いない。
 この話の特徴は、二つの話が見事に組み合わされていること。ヤイロという会堂長の娘のよみがえりの話と、12年間も出血症に悩む女性の癒しの話。状況はまるで違うが、共通点は、いずれにも、深い信仰が表れていること。病気を癒すこと、死者をよみがえらせること、これはまさに神のなせる業だが、イエスは、一方的に、持てる力を発揮して不思議を行うのではなく、苦境に立たされ、何の手立てももたず、無力のどん底にあるものが、それでも、希望を失わず、イエスのうちに働く神の力にすべてを委ね、回復を、そして、よみがえりを信じることを求められたのである。
 出血症はユダヤ人社会の中で、汚れを負ったものとして、人々からいわば、隔離されたような状態で生きることを強いられていた。そんな病を患って長い年月苦しんだ女は、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れることで、癒されることを期待した。そして、イエスが、だれが自分に触れたのか、と問われて、女ははじめて、イエスのうちに宿る神の力が働き、病気が癒されたことを知った。
 娘の回復を願ったヤイロは、娘の死を告げられても、イエスの言葉に促されて、娘のよみがえりを信じた。信じることの難しさ、そして、すばらしさを、一層深く悟る恵みを祈ろう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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