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教皇の意向:女性の役割 (4月)

復活節第四主日(4/25)

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わたしは良い羊飼いである

ヨハネ10:11
集会祈願

いのちの源である神よ、良い羊飼いであるイエスは、限りない愛をもって、わたしたちのためにいのちを投げ出してくださいました。主イエスのもとに一つに集められたわたしたちが、主の愛に近づくことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (使徒言行録4.8-12)

 8そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、 9今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、 10あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。 11この方こそ、
  『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、
  隅の親石となった石』
です。 12ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

🌸 答唱詩編 詩編118 典87 ①②③

:きょうこそ、神が造られた日、
  喜び歌え、この日をともに。

恵み深い神に感謝せよ。
そのあわれみは永遠。
イスラエルよ、叫べ。
神の慈しみは絶えることがない。  【答】

神の右の手は高く上がり、
その右の手は力を示す。
わたしは死なず、わたしは生きる。
神のわざを告げるために。  【答】

家造りの捨てた石が、
隅の親石となった。
これは神のわざ、
人の目には不思議なこと。  【答】

🌸 第二朗読 (一ヨハネ3.1-2)

 1〔愛する皆さん、〕御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 2愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

アレルヤ唱 典

アレルヤ、アレルヤ。わたしはよい牧者、わたしは羊を知り、羊はわたしを知っている。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ10.11-18)

ヨハネによる福音
 11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

奉納祈願

あわれみ深い神よ、キリストはよい羊飼いとしてわたしたちを守り、憩いの水辺と青草の野原に導いてくださいます。主の食卓に招かれたわたしたちに、この恵みを深く味わわせてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いのちの与え主である神よ、新しい一週間を始めるわたしたちを強めて下さい。私たちの日々の生活が、キリストの呼びかけにこたえるものとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日は、この後、白濱さんの御長女明ちゃんの洗礼式がありますが、今読まれた福音は、明ちゃんの親御さんにとって、また、この式に与るわたしたち皆にとって、とても意義のあるものだと思います。福音は、ヨハネ福音書10章の有名な「良い羊飼い」についての話です。

 「羊飼い」と言えば、昔から、イエス様がどんな方であるかを表す代表的なイメージでした。羊飼いのように、羊を大切にし、見失ったら、どこまでも探しに出かけ、見つけたら、肩にかついで群れに戻ってくる、そんな姿を人々はイエスの生き方と重ねました。「良い羊飼い」の姿は、今日の「聖書と典礼」の表紙を飾るカタコンベ(地下聖堂)の壁画にあるように、教会の歴史の早い時期―ローマの迫害の時代―から、イエス様を象徴するものとして使われてきました。

 羊飼いは、自分の羊の1頭1頭の名前を知り、名前を呼んで牧草地に連れてゆきます。もし、狼が襲ってきたら、羊のために命までも捨てる、「わたしはそんなよい羊飼い」だとイエスは言われます。イスラエルの歴史の中で、国を治めた王様は、牧者にたとえられました。預言者の言葉にはよくそれが出てきます。そして、何よりも、神様ご自身が牧者であること、たとえ、王様が牧者にふさわしくない生き方をし、様々な災難を招いたとしても、神ご自身は、決して、羊の群れであるイスラエルの見捨てることがない、と預言者は語ります。イスラエルの指導者、そして、教会の指導者たちは、羊を導く牧者のように、自分のことよりも、羊たちのことをいつも心にかけるように、諭されています。

 この後洗礼式がありますが、洗礼を受けるお子さんの親御さんは、羊飼いと同じような使命をいただいています。子どもが元気に成長するように、日々、食べ物のこと、着るもののこと、眠ること、そのすべてに気を配るのが親の使命です。それは、よい羊飼いであるイエス様の使命に与ることです。先週の平日のミサで、ヨハネ6章から、パンの増加の奇跡とそれに続く長い説教が読まれました。その中で、イエス様はご自分が、文字通り、人々が神のいのちに生きるために捧げられる「いのちのパン」であることを強調されます。それは、ただ、人々の空腹を満たすものでなく、人間が心の奥底で求めている真の糧に対する飢えを満たすものです。親御さんも、子どもさんの肉体の必要に応えるだけでなく、神様への飢え渇きに気づかせ、それに導くことも大きな使命です。洗礼を受けた子どもさんが、成長して、いつか初聖体を受け、さらには、ふさわしい時に、堅信の恵みを受けることができるよう導いてください。

 今日は、白濱さんだけなく、わたしたち皆にとっても、大事な日です。自分が受けた洗礼の恵みを思い起こし、それにしっかり応えて生きているか考える日です。それは、わたしたちも、牧者の使命を自覚してそれを果たしているかを振り返るときです。自分のこども、年老いた親、助けを必要としている家族だけでなく、教会の仲間に対して、生活の中で出会う人に対して、相手のことをやさしく気づかう牧者の心をもって接しているか、振り返ってみましょう。そして、少しでも「よい牧者」の模範にならって、与えられた使命を全うすることができるよう恵みを祈りましょう。(S.T.)

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