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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

主の降誕(日中)祭日(12/25)

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言は肉となって、わたしたちの間に宿られた

ヨハネ1:14
集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ52.)

7いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
シオンに向かって呼ばわる。
8その声に、あなたの見張りは声をあげ
皆共に、喜び歌う。
彼らは目の当たりに見る
主がシオンに帰られるのを。
9歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。
主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
10主は聖なる御腕の力を
国々の民の目にあらわにされた。
地の果てまで、すべての人が
わたしたちの神の救いを仰ぐ。

🌸 答唱詩編 詩編98 典149 ①②③

🌸 第二朗読 (ヘブライ1.1-6)

1神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 2この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 3御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 4御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
5いったい神は、かつて天使のだれに、
「あなたはわたしの子、
わたしは今日、あなたを産んだ」
と言われ、更にまた、
「わたしは彼の父となり、
彼はわたしの子となる」
と言われたでしょうか。 6更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、
「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」
と言われました。

アレルヤ唱 典258 主の降誕日中

🌸 福音朗読 (ヨハネ1.1-18、または1.1-5、9-14)

ヨハネによる福音
 

 1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は、初めに神と共にあった。 3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 9その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 15ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 16わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 17律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。 18いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「光は暗闇の中で輝いています」 (ヨハネ1:5)。暗闇の状況があったからこそ、その中で「ことばは肉となって、私たちの間に宿られました」(ヨハネ1:14)。この降誕祭ミサの典礼は、救い主の誕生をこのように私たちに示しています。光が深い闇を(つらぬ)きます。主がご自分の民のただ中におられることで、私たちには大きな希望が与えられています。皆さん、このような希望をもって主の降誕のミサを始めたいと思います。

 闇の世界の中で、まことの光である神の子主イエスが生まれました。神は私たちのところに訪れてきてくださいました。今コロナ禍で苦しんでも、私たちの日々生活の中に喜びがあっても、苦難があっても、どんな状況であっても誠の光である主イエスが私たちを照らしてくださり、私たちと共に歩んでくださいます。この希望をもって、今私たちはお互いにクリスマスおめでとうという挨拶を交わすことができると思います。それでは、皆さん、主のご降誕おめでとうございます。

 「ことばは肉となって、私たちの間に宿られました」。天地創造主である神は被造物である人間となりました。見えない神は今見えるようになりました。遠い神は今人と近くなり、富んでいる神は今幼子主イエスを通して私たちのために貧しくなり、全能永遠の神だったのに、今は無力さ幼子となりました。

 皆さん、主イエスが生まれた馬小屋を見てごらんください。私たちが毎年見つめる主イエスの誕生の場面は本当に貧しく、寒々しい光景だとも言えますが、でもここから小さな光が、確かな喜びが始まっていく、その出発点だとも言えます。

 どんな貧しさの中にも主イエスは来てくださいます。どんなに闇が深くても、幼子のいのちの光は輝いています。人々がそれほど、ことばを受け入れなかっても、無関心や排除のこころを持っていても、神のほうが人間に近づいてきてくださいます。クリスマスとはそういう祝いです。そして、神の救い業は小さな幼子主イエスから始まっていきます。

 新型コロナウイルス感染症、特に、新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染拡大が再び増え始め、今また人と人との接触を減らさなければならない時になっています。日本でも世界でもそうです。そうなったとき、自分一人が何をしたって変わらないという思い込みではなく、一人一人が自分にできる小さなことをしていくことは、実はすごく意味あることだということに気づかされるのです。そのことに気づくためのチャンスを新型コロナは私たちに与えているのではないかとさえ思うのです。またこの悩みの中でも慈しみ深い神は私たちとともに歩んでくださることを感じさせられるようになります。

 この感じ、この神の慈しみの内に、弱く貧しい人間が、それでも自分にできる小さなことから始めていく。光に向かって、いのちに向かって、愛に向かって歩み始める。主イエスは飼い葉桶から人生の歩みを始めました。私たちも今、この現実の中から歩み始めましょう。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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