Send by Email
Facebook
Twitter
Line
Print

御子によって世が救われる

ヨハネ3:17
集会祈願

聖なる父よ、あなは人類の救いのために、御ひとり子が十字架をになうようお定めになりました。十字架の神秘を信じるわたしたちが永遠にその勝利にあずかることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (民数記21.4b-9)

 4〔その日、イスラエルの民は旅の〕途中で耐えきれなくなって、 5神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」 6主は炎の蛇を民に向かって送られた。蛇は民をかみ、イスラエルの民の中から多くの死者が出た。 7民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために主に祈った。 8主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」 9モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

またはフィリピ2.6-11
 6〔イエス・〕キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、 8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。 9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。 10こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、 11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

🌸 答唱詩編 詩編78 典59 1ab 5ab

答 神のわざを思い起こそう、
  力ある不思議なわざ。

民よ、わたしの教えを聞け。
わたしの語ることばに耳を傾けよ。
わたしは口を開いてたとえをかたり、
過去のできごとの神秘を告げ知らせよう。
耳で聞いて知ったこと、
先祖がわたしたちに伝えたこと、
神の誉れと力、その行われた不思議なわざを、
わたしは子孫に隠さず、
次の世代に語り告げよう。  【答】

それでも、彼らは罪をおかし、
不思議なわざを信じようとしなかった。
彼らの日々は吹き消され、
そのいのちにわかに絶えた。
死が襲い始めると、
彼らは悔い改めて神を探し求め、
神がよりどころであることを思い出した、
すべてを越える神が
あがない主であることを。  【答】

アレルヤ唱 典266(十字架称賛)

アレルヤ、アレルヤ。キリストよ、あなたを拝み、たたえよう。主は十字架によって世をあがなわれた。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ3.13-17)

ヨハネによる福音
 13〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。 14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
 16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

奉納祈願

聖なる父よ、御子イエスは、十字架の上で世界の罪をになってくださいました。この神秘を示す供えものを受け入れ、わたしたちをすべての罪から清めてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

いつくしみ深い神よ、永遠のいのちの糧に強められて祈ります。キリストの十字架によってあがなわれたあなたの民を、復活の栄光に導いてください。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日は、十字架称賛の祝日です。人々の救いと勝利の希望である主イエスの十字架を思い起こす祝日です。十字架の崇敬は、335年に主イエスのお墓の上に立てられた復活聖堂の献堂の祝典に関連して定められたと言われています。

 十字架上で、主イエスは多くの人々の罪のあがないのために、ご自身をいけにえとして捧げられました。ですから、主イエスの十字架は、わたしたちにとって新しい命への出発点ともなったのです。パウロはいいます。「十字架の教えは、滅びてしまう者にとっては馬鹿らしいことですが、救いの道を歩いているわたしたちにとっては神の力です」(Ⅰコリント1:18)と。

 昔と同じように、現在においても、キリストの十字架は多くの人にとって愚かなもの、つまずかせるもの、自分の人生と何の関係もないと思われるものです。けれども、イエス・キリストを知ったわたしたちにとって、その十字架は、神の愛のもっともすぐれた啓示、永遠の命の源、人間を神のもとに引き寄せる一番大きな力なのです。

 更に、ダマスコの聖ヨハネもいいます。「十字架を礼拝するのは、十字架はキリストを示すからです。わたしたちは十字架の木材を礼拝するのではなく、十字架を通じて示されるキリストを礼拝するのであります」。

 確かに、十字架は苦しみのシンボルであり、苦しみは喜びに変わるというシンボルであります。どんな苦しみも、その先に救いの栄光の世界が待っているという、神の国の入り口、天国の扉のシンボルなのだから、苦しんでおられる主イエスのかかっている十字架を切るときに、日々生活の中で思い起こします。

 今のわたしのこの苦しみを、神さまはすべてご存じです。そして、十字架の神秘においては、わたしたちの苦しみは、すでに救いの喜びに変えられているのです。ですから、キリスト者は、苦しみを恐れません。むしろ、救われた者としての喜びを、十字架を高く掲げて、苦しむ人々に告げ知らせます。

 いくら正しくすべきことであっても、気が進まず、避けたい気持ちになる時があります。また、苦しさのあまり、すべてを投げ出したいような時もあるかもしれません。そんな時、わたしたちは十字架を思い起こしましょう。「それぞれ、自分の十字架を担いなさい」とおっしゃる主イエスは、わたしたちに無理難題を押し付けておられるのでしょうか。決してそうではありません。わたしたちの苦しみや困難を放っておかれません。主イエスご自身が共に十字架を担ってくださるとお約束してくださいました。ここでも、自分を空っぽに、自分を無にする時、自分の思いや苦しみから解き放たれ、神様からの途方もない力をいただく道が開かれています。

 乙女マリアはカルワリオで十字架のもとにおられました。わたしたちは教会の現在と未来をマリアにゆだねます。わたしたち皆が主イエスの十字架の愛と救いのメッセージに気づき、受け取ることができますように。そして、今日、わたしたちが喜びのうちに藤沢教会で終生誓願をたてるお二人のシスターをとりわけマリアに委ねましょう。

十字架称賛 祝日(9/14)
Send by Email
Facebook
Twitter
Line
Print
Tagged on:         

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です