学校法人上智学院 カトリック・イエズス会センター Sophia School Corporation Catholic Jesuit Center
Sophia Campus Ministryによる「日々のみ言葉」
2021年1月20日「日々のみ言葉」マルコ3:1-6
松島はるか 上智大学院生
IHS:わたしの魂は神を求める。
学校法人上智学院 カトリック・イエズス会センター Sophia School Corporation Catholic Jesuit Center
Sophia Campus Ministryによる「日々のみ言葉」
2021年1月20日「日々のみ言葉」マルコ3:1-6
松島はるか 上智大学院生
母が成年後見人弁護士に私の留守中に拉致されて8ヶ月、弁護士同士かばい合い誰も力になってくれない。未だ母は行方不明だ。成年後見人制度の闇については東洋経済や現代ビジネス、月刊hanada2月号が書いている。旧統一協会は財産を寄付させても人間を拉致したりしない。子どもたちを拉致する弁護士については産経新聞10月21日正論という欄で書かれている。私自身が拉致監禁被害に会った医療保護入院制度については国連が半世紀前から廃止勧告しているのにが日弁連は何と毎日新聞11月8日のインタビューで2035年までに廃止する工程表を作ったと。
高齢者、子ども、世間の悪や社会悪に異議申し立てする人間を合法的に拉致監禁するビジネスが横行している日本。未だ戦前ドイツと同じ形式的法治国家だ。
とはいえ、日本は先の戦争と戦国時代以外、総力戦をやったことがない。
良くも悪くも発狂したり日常に戻ったりの往復運動不足だ。
まあ、戦争なんかしなくても、子どもの頃に大騒ぎ、大喧嘩、大混乱、、等々、体験していれば、大人になって体力が衰えても生活空間での言論の自由さえあれば至福でいられる、
悪い考え、悪い感情は、自室・自心・自頭、告解室、小教区、教会、匿名のキリスト者でいられる都市界隈の中で消火可能だろう。
もっとも、生活空間で、気遣い、遠慮で、言いたいことも言えないようでは、形式的法治国家の国民として、己の悪を合法的かつ非人道的に発散したくなるのもわかる気がするが、
正直、カトリックの洗礼を受けてから、この理解力がなくなってきたのか。
洗礼を受けたから、と言うより、努力して何かを得ようとしたことが誤りだったのだろう。
洗礼自体がそうだった。
京子さんのエルで隣に偶然、山本神父が座り、、ワインを初対面の時だけはご馳走にならなかったような気がするが、
まあ、ともかく、僕が求道中であることを知ると、
まあ、こういうことは努力したから得られるものではありませんからねえ、、、
と言われた。
ところで、今の、日本を含めた先進国ゾンビは、イメージとしては、三島由紀夫『青の時代』の主人公のような人が集団になった感じだろうか。
石原慎太郎『太陽の季節』と読み比べると言うより、私は二人の人間と家族に関心がある。ネット上でしか見てないが、石原慎太郎には『子どもあっての親』という本がある。
関心があると言ったが、あれこれ論じても仕方ない。
愛することを学びたい。
考える高校生東京サークルの頃の直属の上司が就職した直後、
労働法上、有給休暇を取る権利がある、
などと考えたらダメで、
大失恋のあと、会社なんて行ってられるか!
って感じじゃないとダメだ。
と言っていたがその通り。
道、真理、命。
命を失えば、道を歩けず、真理を発見できない。
太陽は私の体を温め、食後の昼寝の時間だ。
あとは神にすべてゆだねよう。
追伸
元日の読売社説見出し。
平和な世界構築ヘ先頭に立て
防衛、外交、道義の力を高めよう
流石!主筆の爺さんは、ここだけの話だが、ペトロと同じく、ちょっとした武器を持っている。
天国でも地獄でもない、この世。
太陽は美しいが、傘を持つ楽観主義者でありたい。
ただ、キリストは、もう武器はいらない、とペトロをたしなめ、ペトロが剣で傷つけた悪人を癒された。しかし、そのあと、形式的法治主義者たち祭司長たちに逮捕され、十字架につけられる。まさにこれが救い主メシアの姿だ。
具体的にキリストに従うとは、どうすることか。
先日も、知人に先に謝ってしまえばいい、と言われたが、これではダメだ。
キリストは祭司長や形式的法治主義者たちに謝ったりせずに、むしろ、逮捕され平手打ちされたあと「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」と善悪をはっきりさせようとした。
悪とは無価値であり、悪が勝ったら、この世が無価値となってしまうのだ。
ただ、キリスト、と西洋語を使わなくても、負けるが勝ち(価値?)という言葉が日本にもある。
堂々巡りだが読売社説2023年1月1日が言う通り、防衛、外交、道義の力をつけるしかない。
つまりキリスト力だ。
久しぶりにバルバロ訳の『キリストにならう』を救出し約5ページごとに貼ってある付箋のところを読むと、未だ私に欠けたところだらけだ。
そう言えば、ベネディクト16世は『神は愛』の冒頭で、出会いによって与えられる、との趣旨の記述があった。
コロナ禍の中、仕方なく始めたデジタル生活。
youtubeで、秋篠宮佳子さまや、山口百恵の現役時代の映像を見て、命こそ美であり、美こそ力だと思う。
そう言えば、映画『赤いコーリャン』のキャッチコピーは、
美は力なり
だったと思う。
父も母も私も、公立小学校教頭教諭をやっている弟夫婦や市役所病院法律家等々、世俗的権威に無防備だったし信じ切っていた典型的日本2世だ。
今から16、7年前、洗礼を受ける前後、デーケン神父の書き込み式の本を父にプレゼントしたら、
弁護士やデイサービスのケアマネジャーや弟の妻らに拉致される半年ほど前に、母がどこからか見つけて読んでいて、
この本、いい本だね、と言った。
母が拉致された直後、パラパラ見ていて後ろの方のページに目が止まった。
証書や書類など大切な物は鍵のついた引き出しに入れるなど整理してありますか、との趣旨のことが書かれている。
ドキッとした。
父母私の家の合い鍵を持っている弟夫婦は既に4年前から侵入窃盗を少なくとも2回は犯している。
母の助言もあったのに私が玄関の鍵を取り替えたのは母が拉致された2週間後だ。
全く偉そうなことは言えない。
だましたり人の家に侵入したり盗んだり殺したりするのは犯罪だ。弟夫婦をはじめ世俗的権威主義者は、同じことも自分たちがやれば犯罪にならないと思ってる、と言うか、もみ消し、完全犯罪とする凄い団結力だ。
自分が悪いことをしないだけでなく、犯罪に備えることも大切だ。
母も私も一緒に生活していた時は、弟夫婦をはじめとする地域ぐるみ犯罪者たちにどういう心で向かったらよいか本当に苦悩した。母と何度も、それぞれ夜中に起きては弟夫婦たちへの怒りを話し合った。母はようやく健全な怒りという生命力を獲得した。弟夫婦や世俗的権威主義者はそれに恐れをなして母をさらったのだ。
勿論、母と私が公園を仲良く手をつないで歩く姿に妬んだ末のこともあっただろう。
母を拉致したあと、成年後見人弁護士に、
あなたは、ご両親との関係はどうですか?と電話口できいたら、いきなり逆上した。(そう言えば弟の妻に同様の質問をしたら薄気味悪い微笑みを浮かべていた。母は拉致される前、弟の妻の母について、悪いことを平気で言う人で、きつい人だと言っていた。ふと、母も私も馬鹿なお人好しで優しすぎた。悪辣な人々に対しては善辣になれ、との正木ひろしの言葉を思い出した。)
成年後見人弁護士とは3週間ほど前から連絡が取れなくなっているが、最後の電話でも、私が、
いつになったら母は解放されるのですか?
と尋ねたら同じく逆上した。
拉致監禁している認識があるからだろう。
もっとも、悪に染まっている人々は、それに気づかず、善に明るく生きてる人間を迫害するものだ。
これは、自由や民主主義、法の支配、人権の尊重など人類普遍の原理に生きる日本国内外の人間の苦悩でもある。
弟夫婦やその周囲の世俗的権威者と同じく、権威主義国家・ロシア、中国、北朝鮮等々は明らかに一線を超えている。
今日、1月2日の洗礼者ヨハネのように、自他ともに、嘘や悪に対しては、はっきりと、ノーと言える日本人でありたい。
常に、内から清めていきたい。
1月1日、ミサに行く途中、弟の家の留守電に、
あけましておめでとう。ばあば(母)のこと頼むな。今年もよろしく。
なんてメッセージを入れてしまったが、ダメだ、これでは。
悪との妥協は、現に悪を行っている相手にとってもよくないことは、晩年の我が父と母が証明している。
とにかく、真実を、正しいことを!という気持ちで接していると時間はかかるが、やがて徹底的に信頼してくれる。父母からの徹底的な信頼は私の力だ。
旧統一協会より悪質な弟夫婦や医師弁護士たちにより、母はどんな騙され方をされているのかわからないが、母をはじめとする拉致被害者のために祈りたい。
私も拉致監禁中そうだったが、捕虜としては従順になってコミュニケーションとるしかない。
浅間山荘事件の人質も犯人グループとコミュニケーションを取ったので精神的に持ちこたえた。
堂々巡りだがなんとかやっていきたい。
宮台結婚したから落ち着いた。
結婚したから落ち着かないって人々もいる。
孤独死こわい人もいれば、新藤兼人監督、永井荷風原作『濹東綺譚』に憧れる人々もいる、、、。
しかし、近頃帰天されたベネディクト16世の回勅『神は愛』において、エロースは結婚においてのみ完成される、と書かれている。
なるほど!と思う。