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あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい

マルコ6:37
集会祈願

???? 第一朗読 (一ヨハネ4.7-10)

7愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

???? 答唱詩編 詩編72 典136 ①②

アレルヤ唱 典259 (主の公表後③)

???? 福音朗読 (マルコ6.34-44)

マルコによる福音
34〔そのとき、イエスは〕大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 35そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。 36人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」 37これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。 38イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」 39そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。 40人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。 41イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。 42すべての人が食べて満腹した。 43そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 44パンを食べた人は男が五千人であった。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 なぜクリスマスの出来事が起こったのでしょうか。聖イグナチオの霊操によって、それは世界と私たち人間のことを見て、深く憐れんでくださったからです。人となられた神の子主イエスが深く憐れむ心をもって群衆の人々を見たというお姿は福音の中でよく語られています。主イエスの原動力はその深い憐みです。この「深く憐れむ」という言葉は、福音書の中で特にマタイ・マルコ・ルカ福音書の中で、30回以上出てくる言葉ですが、ほぼ神や主イエスにしか使われていない言葉です。例えば、主イエスが病の人を憐れんでくださいます。群衆を憐れんでくださいます。そういう形で使われています。

 しかし、憐みという言葉は福音書の中で、神や主イエスの代わりに人に使われたことがあります。それは善いサマリア人のたとえ話の中です(ルカ10:29-37)。ある人が追いはぎに襲われて半殺しの状態になってしまいます。祭司やレビ人はその通りかかりますが、やはり道の向こう側を通って行ってしまいます。そこへ、旅の途中でした善いサマリア人がやってきますと、その旅を少し中断して、半殺しにされた人を助けます。いったいなぜ助けることができたのでしょうか。聖書に書かれている理由はたった一つです。この善いサマリア人が「その人を見て、憐れに思い…」(ルカ10:33)。理由はそれだけです。深く憐れんだから、それが善いサマリア人を動かした原動力です。この話はたとえ話だから、善いサマリア人は誰のことをたとえているのでしょうか。まずは主イエスご自身のことなのでしょう。主イエスが深く憐れんでくださり、助けてくださいます。そして私たちも「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10:37)と求められているのです。

 ところが、この社会を見てみますと、人を動かしているのは憐れみの心ではない場合が多いような気がします。例えば、富の力に動かされる人もいるし、周りからの自分の評価が気になった名誉の欲望に動かされる人もいるし、そしてまた権力に動かされる多くの人もいます。だから、神は善いサマリア人のように、主イエスのように憐み深い心をもって、兄弟姉妹としての愛をもって、行動を動かすことを私たちに望んでおられます。

 もしも主イエスのような憐み深い心に動かされるならば、貧しい人である私たちは豊かな恵みを結ぶことができるようになります。今日語られたパンを増やす奇跡の話の最後の部分では、弟子たちが「パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいにな」りました。最初は弟子たちがたった5つのパンと2匹の魚をしか持っていなかったのに、今は十二の籠にいっぱいになったということです。主イエスと共に憐みの心をもって、人々に食べ物を与えるならば、この社会には喜びと幸せが溢れるようになるでしょう。

主の公現後火曜日(1月5)
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