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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

年間第九月曜日(6/5)

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家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった。

マルコ12:10
集会祈願

🌸 第一朗読 (トビト1:3、2:1b-8)

トビト記
 1-3わたしトビトは、生涯を通じて真理と正義の道を歩み続けた。またわたしは、一緒に捕らえられてアッシリア人の地ニネベに行った親族や同胞の者たちのために多くの慈善の業を行った。
 2-1さて、五旬祭の日、すなわち七週祭の聖なる日に、ごちそうがわたしのために準備され、食事をするために席に着いた。 2わたしの傍らに食卓が設けられ、多くの料理が運ばれた。そこでわたしは、息子トビアに言った。「わが子よ、捕らわれの身となってニネベの町にいるわたしたちの同族のうちで、本当に神を心に留めている貧しい人を見つけて連れて来なさい。その人と一緒に食事をしよう。わたしはお前が戻って来るまで待っているつもりだ。」
 3そこでトビアは、同族のうちでだれか貧しい人がいないかと探しに出かけた。しかし彼が戻って来て、「父よ」と言ったので、わたしが、「わが子よ、どうしたのだ」と尋ねると、彼は答えて言った。「わたしたちの部族の一人が殺されて広場に投げ捨てられております。たった今そこで首を絞められて殺されたのです。」 4そこでわたしは、料理には全く手をつけずに家から飛び出し、その死体を広場から運び去り、日没を待って埋葬するため、一軒の小屋に安置しておいた。 5家に戻り、身を洗い清めてから食事をしたが、悲しい気持であった。 6預言者アモスが、ベテルの人々に語って言った言葉、
「お前たちの祭りは悲しみに、
お前たちの歌はことごとく嘆きの歌に変わる」
を思い出し、 7泣き悲しんだ。日が沈むとわたしは出かけて行き、穴を掘り、死体を埋葬した。 8近所の人たちは、わたしをあざ笑って言った。「この男はもう恐れていないのか。かつて、今と同じ事をやり、命をねらわれて逃げたのではなかったのか。それなのに、見よ、また死人を葬っている。」

🌸 答唱詩編 詩編112 典99 ①③

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (マルコ12:1-12)

マルコによる福音
 1イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。 2収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。 3だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。 4そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。 5更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。 6まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。 7農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 8そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。 9さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。 10聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった。
11これは、主がなさったことで、
わたしたちの目には不思議に見える。』」
12彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 イエスの生涯の終わりが近づく時期に、神殿で語られた、祭司長、律法学者、長老たちに向けてのたとえ話。そこには、彼らの心の底を抉るような、厳しい問いかけが含まれている。
 聖書は人間の歴史と深くかかわる書物だが、単なる歴史的記録ではない。歴史を超えた神が、人間の歴史にかかわって来られた、その記録と言ってよいかもしれない。そこには、他の宗教書には見られない、神自らの意志、人間に対する愛に満ちた救いの計画(救済史)の実現が跡付けられる。
 聖書は、神が、創造のわざによって自らの善さと知恵を顕わにするが、歴史の中で、具体的な人間を通して、自らの意志を明示されたことを教える。今日のたとえを通して、イエスは神の人間に対する期待と、人間の忘恩について語り、人々を回心に導こうとする。ぶどう園の主人から、その管理を任された農夫は、イスラエルの指導者たち。収穫を主人に報告し、それを奉納するどころか、送られた僕たちを次々になぶりものにするとは、本来の責任を放棄し、自己の利益にのみ関心を示す、悪名高き王たちや、預言者たちから厳しい言葉を浴びせられた宗教指導者たちを指す。最後に送られた主人の息子とは、神自らが満を持して送られた、愛する子イエスのこと。「ぶどう園の外にほうり出して」とは、イエス自身がエルサレムの門外で、十字架に架けられて亡くなることを暗示する。
 昨日祝った「三位一体の主日」は、まさに、そのような、人間を自らのいのちに招き入れようとする、愛に満ちた神を称え、賛美する日であったことを思い起こそう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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