♰ キリストにおいてすべてを新しく見る ♰

Generic filters
Exact matches only
Filter by content type
Comments
Attachments

教皇の意向:周辺に追いやられて生活する人々 (9月)

1月5日の御言葉

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

どうしてわたしを知っておられるのですか

ヨハネ1:48
集会祈願

🌸 第一朗読 (1ヨハネ3:11-21)

ヨハネの手紙

 11〔愛する者たち、〕(なぜなら、)互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。 12カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して、兄弟を殺しました。なぜ殺したのか。自分の行いが悪く、兄弟の行いが正しかったからです。 13だから兄弟たち、世があなたがたを憎んでも、驚くことはありません。 14わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです。 15兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません。 16イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 17世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。 18子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。
神への信頼
 19これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます、 20心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。 21愛する者たち、わたしたちは心に責められることがなければ、神の御前で確信を持つことができ〔ます。〕

🌸 答唱詩編 詩編 典

アレルヤ唱 典

🌸 福音朗読 (ヨハネ1:43-51)

ヨハネによる福音

 43その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。 44フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 45フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 46するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。 47イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」 48ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。 49ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 50イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」 51更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音は、ヨハネが記す最初の使徒がイエスに召された時の話。共観福音書の召出しの箇所を読んで正直感じることは、どうして、大の男たちが「わたしに従いなさい」というイエスの一言に従っていったのか、と。幸い、ヨハネは、使徒たちが、人間的な思いを持ちつつも、イエスとの親しい出会いによって、人生を変えることができたかを伝えてくれる。
 昨日読まれた箇所では、アンデレともう一人の弟子(おそらくヨハネ)が洗礼者ヨハネからイエスを紹介され、イエスのもとに出かけてゆき、一晩ともに過ごしたことを記している。その稀有の体験によって、彼らの人生は決定的に変えられた。アンデレは翌日、兄弟ペトロに「わたしたちはメシアに出会った」と自分たちの経験を話し、そして、今日の箇所で、同郷のフィリポはイエスから声をかけられ、さらにナタナエルにその体験を伝える。疑い深いナタナエルは、「ナザレの人」と聞いて俄かに信じることが出来ないまま、フィリポの「来て、見なさい」という言葉に従って、イエスの人知を超えた存在に触れ、「あなたは神の子、イスラエルの王」とまで公言する。
 大晦日の日に帰天された前教皇ベネディクト16世は、『使徒―教会の起源』と題された連続講話の中で、こう言われる、「わたしたちは、イエスを知るために、何よりも生きた経験を必要とします。ほかの人のあかしも確かに大事です。(しかし、)
個人として、イエスと、親しく、また深い関係を結ばなければなりません」と。(p.158)
 年初にあたり、そんな恵みの経験に導かれるよう祈ろう。(S.T. )

FacebookTwitterEmailLinePrintFriendly

関連投稿🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. とはいえベネディクト16世『神は愛』は確かに素晴らしいが今から読むとちょっちと思うところもある。
    28aの終わりの方、日本語訳の56ページに
    「公正な社会を実現すべきなのは政治であって教会ではありません。」
    とあるが、これはまずいんじゃないかと思う。
    この点、日本の司教団は福音宣教の立場から世間一般から見れば政治的発言もしているし、フランシスコ教皇は、勇気と寛大な心で出かけて行け!と我々を鼓舞してくれている。
    まあ、ベネディクト16世は枢機卿時代に言論の鉄砲玉でなく本物の鉄砲玉まで所持した解放の神学の一部の人々を前に、こりゃいかんとストップをかけた側面もある。
    ただ、私は、あくまで言論・出版その他、表現の自由は守り、どんな言論にも言論で反撃するのが大原則だと思う。
    しかし、生活空間での議論や世間話自体が敬遠される昨今のネット社会化には閉口している。

    返信
    • 舌足らずだったかも。
      ベネディクト16世も枢機卿時代に解放の神学の一部過激くんが大変だったから抑圧的にもなったろう。

      返信
  2. 何よりも生きた経験を必要とします。
    分かち合いで引用されてるベネディクト16世の『使徒 教会の起源』。
    ぁ! あのカラヴァッジョの『マタイの召命』が表紙の文庫か!?
    ちょっと久しぶりに2階の文庫本の本棚で発見。やっぱりそうだった。
    記憶にばかりたよらず、ものぐさやめて、と言うか昨年は孤立無援の戦いの中にあり本読む余裕がなかった。
    『使徒』だけでなく『神は愛』、教皇フランシスコの『福音の喜び』『愛の喜び』、カトリック中央協議会の『毎日の読書』、そしてレオ13世の回勅『レールム・ノヴァールム』が引用されている有斐閣新書の『基本的人権の歴史』を1階に持ってきた。
    付箋の箇所だけでもパラパラ見れば、心整い、落ち着いてくる。
    神と教会に感謝!

    返信

コメントする