小教区の教会のために祈る (1月)

待降節第二水曜日(12/7)

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重荷を負う者は、誰でもわたしの元に来なさい。

マタイ11:28

聖アンプロジオ司教教会博士 記念日

集会祈願

🌸 第一朗読 (イザヤ40:25-31)

イザヤの預言
25お前たちはわたしを誰に似せ
誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。
26目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ。
それらを数えて、引き出された方
それぞれの名を呼ばれる方の
力の強さ、激しい勢いから逃れうるものはない。
27ヤコブよ、なぜ言うのか
イスラエルよ、なぜ断言するのか
わたしの道は主に隠されている、と
わたしの裁きは神に忘れられた、と。
28あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
主は、とこしえにいます神
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく、疲れることなく
その英知は究めがたい。
29疲れた者に力を与え
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。
30若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
31主に望みをおく人は新たな力を得
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。

🌸 答唱詩編 詩編103 典93 ①③

アレルヤ唱 典256 ⑭

🌸 福音朗読 (マタイ11:28-30)

マタイによる福音
 28〔そのとき、イエスは言われた。〕疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」忙しさの中に生きる現代人で、自分に関係ないと言える人はどこにもいない。しかし、どこで、どのように休みをとっているだろうか。休みの取り方は人さまざま。とかく最後に回されるのが、主が与えようとしておられる真の休みかもしれない。
 続いて、主は言われる、「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」、と。「軛」と聞くと、すぐ「務め」を考える。今以上に、重荷を負わせるつもりなのか、と考えたくなる。当時のユダヤ人にしても、十分すぎるほどの律法の重荷を負い、決して楽でない生活を送っていたはず。
 「軛」は、農作業のために牛馬に負わせるもの。しかし、一頭ではなく、二頭の牛が一緒に担うもの。それはあくまで比喩で、「わたしの軛」とは、主イエスが担う軛。主と共に担うのであれば、どれほど、慰め深いことか。
 「わたしに学びなさい」と。主イエスに学ぶということは、学校の先生の指導を仰ぐのとは違い、イエスの思い、判断、行動に倣うこと。イエスの話し方、人々への寄り添い方に倣うこと。そこには、自分よりも相手を中心に考え、あくまでもへりくだって仕える姿勢、謙遜な僕としての生き方が現れている。
 自分の考えで何もかも取り仕切るのではなく、つねに、父なる神のみ旨を求めて、父との一体性を忘れずに生きること。そのためには絶え間ない祈りが不可欠。「主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40.31)。(S.T.)

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