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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第二十九土曜日(10/22)

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キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。

エフェソ4:7
集会祈願

🌸 第一朗読 (エフェソ4:7-16)

使徒パウロのエフェソの教会への手紙
 7〔皆さん、〕わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。 8そこで、
 「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、
 人々に賜物を分け与えられた」
 と言われています。
 9「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 10この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。 11そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 13ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。 14こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 15むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。 16キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。

🌸 答唱詩編 詩編122 典173 ①②

アレルヤ唱 典267 ⑦

🌸 福音朗読 (ルカ13:1-9)

ルカによる福音
 1ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。 2イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。 3決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。 4また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。 5決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
 6そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。 7そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 8園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。 9そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ガリラヤ人の血が、祭壇の生贄の血に混ぜられたことは、彼らがより罪深い人間だったからか。シロアムの池の工事で塔が倒れて犠牲になった人々は、それ以外の人よりも罪深いからなのか。
 すでに、こうした災難や病気の犠牲になった人々はそれだけ罪深い人だったのか、という疑問は、エゼキエルの預言やヨブ記の中で、すでに否定されていた。しかし、人々の間には、悲惨な出来事や、災いが起こるたびに、禍の陰には、人間の罪が絡んでいる、という思いは今日に至るまで、どんな文化においても、繰り返しよぎってくる。そうした因果応報的な考えに対して、イエスは、そうではない、とはっきり言われる。
 むしろ、イエスはそうした機会を利用して、悔い改めについて、そして、神の限りないいつくみについて教える。実を結ばないいちじくの木。3年間も忍耐して、実を結ぶのを待ってみたが、一向に結ぶ様子はない。園の主人は、畑を無駄にしておくより、切り倒した方がよいと、園丁に言う。しかし、彼は、もう1年待ってください、その間十分世話してやります、と。
 人間はとかく人間が作った基準で人を判断する。定められた時間で、目標とする数字や量で、よしあしを決める。神のいつくしみはそれとは違う。たとえ時間がかかっても、結果がわずかであっても、1点足りなくても、神の人への愛は変わらない。悔い改めを、忍耐強く待ち続ける神の慈しみへの信頼を一層深めることができるよう祈ろう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

2 comments

  1. りだつすべきはこのよであってきょうかいではない。いまとおなじ、かぞくしんせきこきょうにゆうへいされてたちゅうがくじだい、よはねぱうろ2らいにちはひかりであった。

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    • 離脱は物理的だけではなく霊的・精神的離脱も含む。

      引きこもり当事者と家族の分かち合いに「愉快な引きこもり」として参加していた時、少女が発行しているイラスト入りのミニコミ誌を彼女の母親がくれた。

      その少女は、いじめや教員の悪など世間悪・社会悪から攻撃された時、ぽーーんと霊的・精神的に離脱するのだが
      (イラストの描写が見事だった)、
      詐術的医師から何やら病名をつけられていた
      (昨今の病名なんて日本における1960年安保闘争後の過激派セクトの名称のようなものでバカバカしくていちいち覚える気にならない。
      最新のカタカナ言葉やjargon・専門用語を使えば、何かインテリゲンチャにでもなったかのような錯覚に酔うのは、真のインテリゲンチャを先の戦前戦中や戦国時代後に迫害し殺した日本ファリサイ派の末裔だからだろう)。

      何よりも離脱する先があることが重要だ。

      fly me to the Moonは夜の歌。

      今は夜明けあと、
      ♬夜明けのミュー♬??

      新しい朝。
      ♬今、目の前に ひとつの朝♬

      マリア、ヨセフ、そしてイエス・神・愛ヘ!

      ウィリアム・ジョンストン『愛する』87ページ98ページ
      『十字架の聖ヨハネ 小品集』(ドン・ボスコ社)193〜194ページ
      なお『霊操』319番320番など参照。

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