教育にたずさわる人たちのために祈る (1月)

年間第二十五木曜日(9/22)

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イエスに会ってみたい。

ルカ9:9
集会祈願

🌸 第一朗読 (コヘレト1:2-11)

コヘレトの言葉
2コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
3太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう。
4一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
5日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
6風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
7川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
8何もかも、もの憂い。
語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく
耳は聞いても満たされない。
9かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
10見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
11昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。

🌸 答唱詩編 詩編90 典52 ①③

アレルヤ唱 典269 ㊼

🌸 福音朗読 (ルカ9:7-9)

ルカによる福音
 7〔そのとき、〕領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、 8「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。 9しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 第一朗読の「コヘレトの言葉」は、旧約聖書の他の文書とは、どこか違う、異質にさえ感じる文書である。語っているのは、コヘレト(伝道者)、つまり、かつての偉大な王ダビデの子(ソロモン)の言葉とされる。あらゆる富と栄華を自らのものとし、周辺世界から知恵者としての名声を浴びて人生を生きた王。しかし、彼は、そうしたことのすべてが「空しい」という。だれが願っても手にすることのできない金銀財宝、周辺諸国から送られた贈り物とともに、皆が羨む美女たちに囲まれ、強大な軍隊を従え、大国の脅威をはねつける勢いをほしいままにした大王。そのかれが、晩年、「すべてがむなしい」と述懐したのはなぜか。これは、ソロモン王が生きた紀元10世紀からかなり時が経過した紀元前2世紀頃に記された言葉である。
 イスラエルの民の中で、語り継がれてきた神のことばとは違う、ギリシャ文化の影響を受けた雰囲気の漂う文章の中に、民族を超えた、人類に共通する思いがあふれ出ており、日本の古典『方丈記』にも通じるものを感じる人が少なくないはず。人生のはかなさ、労働のむなしさ、不条理に満ちた現実への嫌悪。そうした思いはとかく、あきらめと絶望に道を開きかねないが、コヘレトの著者は、そこに光を見出そうとする。人間の現実の中に、人間を超えた知恵、世界を創造された方のはからいが人間に希望を与え、真の喜びに導くことを教える、奥深い信仰の書と言うべきではないだろうか。(S.T.)

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11 comments

  1. 遊びの時代は終わった。迂闊に稚拙に、そして鋭く真剣に遊んでやる。食う、寝る、遊ぶ。自分は人に何もできない。念じるだけだ。言葉はいつも気持ちに追いつかない。気持ちはいつも言葉を追い抜く。kさん、良かったですね。

    返信
  2. 今、9月28日水曜日。とにかく昨日は過ぎ去った。無事と言えるか?自分も日本人であることを棚に上げれば、というか自分もまさに日本人だが、霊的混乱の中にある。
    信徒ではない友人が私に言った通り、国葬云々より、生とは何か、死とは何か、、といったことを論じたかった。昨日の結論が今日の福音。そして我等の目的は分かち合いにある通り神の国。
    神の国。これをどう日本世間内的言語に翻訳するか?
    翻訳?
    我等が身をもって示すしかない、
    まことの食べ物でこの身を養いながら。
    まさにヨハネによる福音!

    返信

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