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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第二十四木曜日(9/16)

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あなたの信仰があなたを救った

ルカ7:50

聖コルネリオ教皇 聖チプリアノ司教殉教者

集会祈願

🌸 第一朗読 (一テモテ4.12-16)

 12〔愛する者よ、〕あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。 13わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。 14あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。 15これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。 16自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかりと守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。

🌸 答唱詩編 詩編111 典61 ③④

アレルヤ唱 典276(諸聖人)

🌸 福音朗読 (ルカ7.36-50)

ルカによる福音
 36{そのとき、}あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。 37この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、 38後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。 39イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。 40そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。 41イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。 42二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」 43シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。 44そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 45あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。 46あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。 47だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 48そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 49同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。 50イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」(39節)。やはり、主イエスを招いているファリサイ派のシモンは、この人はやはり預言者ではない」と思い始めています。彼には、この女性のひたむきな気持ちは全くわかりません。主イエスに対する喜びと感謝の気持ちと遠いところにいるのです。

 彼は、自分にも確かに罪はあるかもしれないけれども、あの連中ほどには悪くないと信じることで、自分を保っています。相対的に見れば自分はましなほうだと思い込んでいるに違いません。私たちキリスト者の中にも、同じような思いがあったでしょう。

 「 二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか」という主イエスの質問に対して、シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えました。

 シモンは信仰をもっていたようです。ただし、主イエス・キリストを半信半疑であるかもしれません。彼は何かしらメシアとする主イエスを期待していたような気がします。しかしこの女性に対しては、いわゆる上から目線で、罪の女として退けようとする思いがありました。

 イエス・キリストは、そのシモンとは全く違う形で、愛をもって彼女を見つめ、彼女を受け入れ、彼女を生かす、そうした道を示してくださいました。なので、彼女は、自分が赦されたということから、自分にできる限りの、また自分にできる形での愛を、主イエス・キリストに示したのです。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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