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主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。

ヨハネ6:68
集会祈願

喜びの源である神よ、あなたの言葉は信じる者を照らす光です。きょうも、わたしたちに力強く語りかけてください。信じる心を絶えず新たにし、主キリストに従うことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (ヨシュア24.1-2a、15-17、18b)

 1ヨシュアは、イスラエルのすべての部族をシケムに集め、イスラエルの長老、かしら、さばきびと、つかさたちを召し寄せて、共に神の前に進み出た。 2そしてヨシュアはすべての民に告げた。
 15もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」。
 16その時、民は答えて言った、「主を捨てて、他の神々に仕えるなど、われわれは決していたしません。 17われわれの神、主がみずからわれわれと、われわれの先祖とを、エジプトの地、奴隷の家から導き上り、またわれわれの目の前で、あの大いなるしるしを行い、われわれの行くすべての道で守り、われわれが通ったすべての国民の中でわれわれを守られたからです。 18それゆえ、われわれも主に仕えます。主はわれわれの神だからです」。

🌸 答唱詩編 詩編34 典128 ①⑤⑥

答 主を仰ぎ見て、光を受けよう。
  主が訪れる人の顔は輝く。

主をたたえよう、
明け暮れ賛美をくちにして。
主はわたしたちの口のほこり、
苦しむ時の心の喜び。  【答】

主のまなざしは正しい人に、
耳は彼らのさけびに。
主は正しい帆と声を聞き、
悩みの中から救ってくださる。 【答】

主はしいたげにあう者のそばにおられ、
失意の人をささえ、
主はそのしもべの魂をあがない、
より頼む人を滅びからすくわれる。 【答】

🌸 第二朗読 (エフェソ5.21-23)

  21〔皆さん、〕キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである。
 22妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。 23キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。 24そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。 25夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。 26キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、 27また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。 28それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。 29自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。 30わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。 31「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。 32この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。 

アレルヤ唱 典269 21B

アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたの言葉は霊であり、いのちです。あなたは永遠のいのちの言葉をもっておられる。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (ヨハネ6.60-69)

ヨハネによる福音
 

 60〔そのとき、〕弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。 61しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。 62それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。 63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。 64しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。 65そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。
 66それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。 67そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。 68シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。 69わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。 

奉納祈願

信じる者の力である神よ、永遠のいのちの言葉に強められて祈ります。ここに行われる秘跡をとおして、ひとり子イエスの死と復活の神秘に深く結ばれますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

豊かないのちを与えてくださる神よ、キリストによって一つに結ばれたわたしたちが、互いに仕え合い、ともに信仰の道を歩み続けることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 コロナが終息どころか、今まで経験したことのないような勢いで拡大し、広島教区でも、いよいよミサを非公開にするようにとの通達を先日いただきました。こうした社会の状況を見、司教様の指示に従いながら、わたしたち皆も、自分自身と周囲の方々の健康維持のため、今まで以上に、気を配り、感染症の終息を祈りながら日々を過ごしてまいりましょう。

 今日のミサの朗読のテーマは、言ってみれば、「選び」ということです。神様の選びではなく、わたしたち一人一人に課せられた「選ぶこと」についての話です。第一朗読では、旧約聖書から『ヨシュア記』が読まれました。モーセの後を継いで、イエスラエルの民の指導者となったヨシュアが、約束の地に入ってから、土地に住んでいた人々との戦いを終え、イスラエルの民に、どのような神を選ぶつもりかと問います。かつて先祖たちが拝んでいた神々か、この土地に住むアモリ人が礼拝する神々か、それとも、自分たちをエジプトから導き出し、約束の地まで導いて来られた唯一の神か選びなさい。自分たちは、「主」に仕えます、と。

 『ヨハネ福音書』は、「いのちのパン」についての話の最後に、弟子たちの中にも、イエスの話についてゆけず離れて行ったものが出たことを受けて、イエスが12人に「あなたがたも離れて行きたいか」と問われたことを記しています。イエスに従うか否かの選び、選択の問題です。ペトロは、12人を代表して言います、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と。聖体拝領の前に唱える言葉のもとになる一節です。わたしたちは、洗礼によって、何を選んだか、どなたに従うか、しっかり決断し、その決意をミサにあずかるごとに固めることができる恵みを感謝いたしましょう。

 先日、久しぶりに本屋に行ったところ、店頭の新刊本の棚に、フランシスコ教皇の『コロナの世界を生きる』という本が置いてあるのに目がとまり、一冊買って帰りました。昨年コロナ禍で書かれた文章のようですが、PHP研究所から発行されたもので、教会関係の新聞や雑誌には全く紹介がありませんでした。ページをめくってみると、全体は大きく3部に分かれ、それぞれ、「見るとき」、「選ぶとき」、「行動するとき」、と見出しがついていました。コロナが世界を覆い、そこで、人々が今まで経験したことのないような状況を生きていることをしっかり見なさい、ということ。そこで、見たことを踏まえて、自分はどうしたらよいか、静かに内省することを勧め、次のように言われます。「現実を見つめ、その光景に衝撃を受ける第一段階と、その現実を癒し、修復するために具体的な行動をとる第三段階との間には、欠くべからざるもう一つの段階があります。識別し、選択する段階です。・・・この第二段階のためには、現実を受け入れるだけでなく、指針となる揺るぎない基準が必要です。それは、人類が神に愛されており、奉仕と連帯に準じることを求められていると自覚することです。また、静かに内省する能力や、せわしない雑務からの避難場所も必要です。そして何より、聖霊からの働きかけを聞き取り、夢を育むための対話を行うための祈りが必要です」(p.70)と。

 わたしたちは洗礼によって、根本的な生きる方向性は固まっています。しかし、日常のこととなると、様々な選択・決定をしていかなければなりません。だれかが決めてくれるわけではありません。わたしたちは、自然災害等、何か衝撃的な体験をすると、とかく、自分のため、人のために何かしなくてはと思いがちです。何らかの行動は必要です。しかし、行動に移る前に、何ができるか、何をしたらよいか、どのようにすればよいか、よく検討し、様々ある可能性の中から、ふさわしいものを選ばなければなりません。基準ははっきりしています。神の意志、望みです。しかし、それを知るために必要なことは、自分の好み、自分の願望ではありません。自分よりも、人のために何が必要かも考えなければなりません。恐れのために必要な決断ができない、ということも避けねばなりません。単に合理的であるかどうかでもありません。人々の反応、人々がどう思うかでもありません。神がわたしに何をさせようとしておられるかを、謙虚に学ぶことです。
「霊操」は、まさに、そのための手引きです。

 また、しばらく教会に集うことのできない日々がやってきます。兄弟姉妹にあうことが出来ないのはつらく寂しいことです。病人を訪問したいと願いながら、それが出来なかった方も大勢おられます。そこで何をしたらよいか、今こそ、考えるべき時です。静かに、祈るときです。神の導き、光を願う時です。どうか、これからの日々を主が導いてくださり、あらたな希望で満たしてくださるよう祈りましょう。そして、どこにいても、わたしたちを愛してくださる神が、復活された主において、また、主が送られる聖霊において、共にいてくださることを一層深く体験できますよう、祈りましょう。

 そして、一日も早くコロナが終息しますように、特に、小さな子どもたちの間に蔓延しないようにお祈りいたしましょう。(S.T.)

年間第二十一主日(8/22)
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One thought on “年間第二十一主日(8/22)

  • 8月 22, 2021 at 8:24 am
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    私の教会もミサの中止連絡がありました。
    コロナ禍でなくても、病気や人間関係のもつれで教会から離れてしまった方は少なくありません。
    復活の主イエス・キリストを仰ぎ共に主の御前で賛美と礼拝をする日が来ますように。
    本当に家庭内感染が広まっています。行動を慎み愛する人々と自分の命を守るために今の時をどう過ごせばよいのかわきまえる事が出来ます様に🍀

    毎日のメッセージにいつも感謝しております。

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