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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第十九木曜日(8/17)

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心から兄弟を赦さないなら、

マタイ18:35
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヨシュア3.7-10,11、13-17)

 7〔その日、〕主はヨシュアに言われた。
 「今日から、全イスラエルの見ている前であなたを大いなる者にする。そして、わたしがモーセと共にいたように、あなたと共にいることを、すべての者に知らせる。 8あなたは、契約の箱を担ぐ祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい。」
 9ヨシュアはイスラエルの人々に、「ここに来て、あなたたちの神、主の言葉を聞け」と命じ、 10こう言った。「生ける神があなたたちの間におられて、カナン人〔や他民族〕をあなたたちの前から完全に追い払ってくださることは、次のことで分かる。
 11見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡って行く。 13全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」
 14ヨルダン川を渡るため、民が天幕を後にしたとき、契約の箱を担いだ祭司たちは、民の先頭に立ち、 15ヨルダン川に達した。春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、 16川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。そのため、アラバの海すなわち塩の海に流れ込む水は全く断たれ、民はエリコに向かって渡ることができた。 17主の契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川の真ん中の干上がった川床に立ち止まっているうちに、全イスラエルは干上がった川床を渡り、民はすべてヨルダン川を渡り終わった。

🌸 答唱詩編 詩編105 典94 ①⑥

アレルヤ唱 典270 23C

🌸 福音朗読 (マタイ18.21~19.1)

マタイによる福音

 21そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 22イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 23そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。 24決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。 25しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。 26家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。 27その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。 28ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。 29仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。 30しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。 31仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。 32そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。 33わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』 34そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。 35あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
 1イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 共同体についての教えを記す18章の結びの話。兄弟を何回赦すべきかと問うペトロに、イエスは「七の七十倍までも赦しなさい」と答え、たとえを語られた。
 1万タラントンの借金を王から帳消しにしてもらった家来が、自分に100デナリの借金をしていた仲間をゆるさず、牢に入れる。王はこの料簡の狭い家来を牢にぶち込んだ、という話。1万タラントンと言えば、一生涯働いても到底得ることのできない、現実にはありえないような莫大な金額。100デナリでも、日本円にして100万円相当だから、決して少ない金額ではない。金額だけ考えれば、とても比較にならないような設定である。たとえ、たとえであっても、どうしてそれほど大きな金額を引き合いに出すのか。「タラントンのたとえ」にしてもそうだ。たとえが、人間と神との間のことだからと言えば、ある程度納得ができるが、同時に、どこかで、自分はそんな一生かけても償えない罪など犯していない、という思いが湧いてくるかもしれない。
 「罪」という狭い枠を超えて、神からいただいている恵み、愛に対して、自分が兄弟(広義)に対して行っていることは、どれほど小さく、僅かなことであろうかと考えれば、それがどれほど大きなものであるか、理解しやすいかもしれない。目で見ることのできない神からいただいているものを、人間は容易につかむことができないが、イエスは、こうした天の国の「たとえ」を通して、その限りなく大きく、広く、深い愛を教えておられると考えたらどうだろうか。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

1 comments

  1. 何度も何度も傷を受けた人を許すことはなかなか出来ません。
    けれども自分が罪を犯したとき、神様を悲しませたりするような行為を無意識でしてしまっているとき、神様と自分との隔たりの壁をどれ程積み上げてきたかを思い悔い、赦しをこう事が出来ます様に🍀

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