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耳のある者は聞きなさい

マタイ13:43
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト33.7-11、34.5b-9、28)

 7〔その日、〕モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。 8モーセが幕屋に出て行くときには、民は全員起立し、自分の天幕の入り口に立って、モーセが幕屋に入ってしまうまで見送った。 9モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。 10雲の柱が幕屋の入り口に立つのを見ると、民は全員起立し、おのおの自分の天幕の入り口で礼拝した。 11主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。モーセは宿営に戻ったが、彼の従者である若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋から離れなかった。
 5主はモーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 6主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 7幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」 8モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、 9言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」
 28モーセは主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した。

🌸 答唱詩編 詩編103 典93 ②③

アレルヤ唱 典268 ㉓

🌸 福音朗読 (マタイ13.36-43)

マタイによる福音
 36〔そのとき、〕イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 37イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 38畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 39毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 40だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 41人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、 42燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 43そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音では、主イエスは「畑の毒麦のたとえ」を説明してくださいます。このご説明の中にある「世の終わり」という言葉は二度も繰り返して書かれています。終わりの日まで、良い麦と悪い麦両方とも、良い種を蒔く者、すなわち人の子・主イエス・キリストは彼らの世話をするためにご自分のいのちを絶えず捧げてくださいます。神は悪い麦をもずっと見守って、彼らがいつか変わるように、また良い実を結ぶことができますように、常に望んでおられます。

 さて、ここでは、毒麦のたとえ話だと言われていますが、この福音の個所は毒麦という悪い者を中心とするではなく、むしろ神の愛と忍耐力強い心のほうを強調するではないかと思います。やはり、社会の中に、教会の中に、我々の間には良い者と悪い者両方ともあります。主イエスがこの世に来たのは良い者ばかりを救うだけでなく、悪いものをも救おうとするのです。同じように神は悪い者にも良い者にも雨を降らせているという愛広くていつくしみ深い方です。

 毒麦という悪い者たちをそのまま置いておく理由は、彼らがいつか悔い改めるようになるということを神は待っているのでしょう。神は悪い者、罪びとの回心を望んでおられます。私たちの回心を待ってくださいます。主イエスが最初に宣教に行かれた時、人々に悔い改めを呼び掛けていました。神の国が近づいて、悔い改めて福音を信じなさいという神のお招きです。神の国に入るために、悔い改める必要があるということです。

 毒麦の周りに良い麦があります。良い麦の隣に毒麦があります。毒麦という悪い者が回心するまで、良い麦というよい者は神の恵みによって神の愛、神の深い慈しみを見せなければなりません。一方、悪い者はそのよいわざを見たら、回心しなければなりません。これはダイナミック的に生きている私たちの生活です。

 従って、お互いに協力して助け合って信仰生活を深めていくのです。そして神の力に信頼と希望を置くならば、「神の国」が近づいてくること、それが日々信仰生活の中で実現していくこと、また成長していくことを、感じることができるでしょう。それで、人生が変わっていくことができる、また主イエスの弟子への道を歩むことができるのです。

 どうか神の愛と慈しみ、主イエスの救いの業を感謝しながら日々生活の中で、少しずつ回心していくことができますように、すなわち神の国を少しずつ気づいて、そこに入ることができますように神の導きをお願い求めましょう。

年間第十七火曜日(7/27)
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One thought on “年間第十七火曜日(7/27)

  • 7月 27, 2021 at 6:51 am
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    自分の回りにある嫌なものを排除することに心を向ける事なく、希望と信頼を持って神様に祈り続ける事が出来る愛と強さを私に与えて下さいますように。

    Reply

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