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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第十六水曜日(7/21)

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種を蒔く人が種蒔きに出て行った

マタイ13:3
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト16.1-5、9-15)

 1イスラエルの人々の共同体全体はエリムを出発し、エリムとシナイとの間にあるシンの荒れ野に向かった。それはエジプトの国を出た年の第二の月の十五日であった。 2荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。 3イスラエルの人々は彼らに言った。
 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」
 4主はモーセに言われた。
 「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す。 5ただし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」
 9モーセがアロンに、「あなたはイスラエルの人々の共同体全体に向かって、主があなたたちの不平を聞かれたから、主の前に集まれと命じなさい」と言うと、 10アロンはイスラエルの人々の共同体全体にそのことを命じた。彼らが荒れ野の方を見ると、見よ、主の栄光が雲の中に現れた。 11主はモーセに仰せになった。
 12「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」
 13夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。 14この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。 15イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。
 「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

🌸 答唱詩編 詩編78 典59 ④a ④b

アレルヤ唱 典268 ㉓

🌸 福音朗読 (マタイ13.1-9)

マタイによる福音
 1その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 2すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 3イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 4蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 5ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 6しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 7ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 8ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 9耳のある者は聞きなさい。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 皆さん、先ほど聞いた種蒔きのたとえをよくご存じでしょう。その日、主イエスは家を「出て」、「種をまく人が種まきに出て行った」と語り始めます。「出て行く」主イエスこそが種蒔く人です。教皇フランシスコにとって、私たちの教会は「出向いていく」教会です。「現代の教会が、あらゆる人に、あらゆる場所で、あらゆる機会に、ためらうことなく、嫌がることなく、恐れることなく、福音を告げるために出向いて行くことは重要です。」「出向いて行く」教会は、宣教する弟子たちの共同体です。福音宣教する共同体は、主がイニシアティブをとり、先に私たちを愛してくださったことを知っています」(使徒的勧告『福音の喜び』23項、24項)。

 種蒔きのたとえ話は、主がご自分のことばと愛という種をつねに蒔いておられる土地は私たちであることを、思い起こさせてくれます。私たちはどんな気持ちでその種を受け入れるのでしょうか。そして、私たちは自分自身に問いかけます。自分はどんな心をしているだろうか。どの土地に似ているだろうか。道端、石だらけの土地、それとも茨の間の土地だろうか。とげも石もなく、しっかりと開拓され耕されたよい土地になり、自分だけでなく兄弟姉妹にもよい結果をもたらすことができるかどうかは、私たち自身にかかっています。

 先ほどキリストの教会は「出向いていく」教会だと言いましたが、私たちは、種を蒔く人でもあるという意味になります。神は絶えずよい種を蒔かれます。その種を受けた私たちは、これからどんな種が自分の心と口から出ているのか自らに問わなければなりません。同時に、豊かな実りを信じて宣教を続ける主イエスのように、私たちもその希望をもって忍耐をもって神の種を蒔いて行きましょう。宣教活動はすぐに目に見える成果で報われるとは限りません。しかし、宣教者は、神のみ言葉は必ず豊かな実りをもたらすと信じて自らを励まします。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

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