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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第十四土曜日(7/15)

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耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい

マタイ10:27
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記49.29-33、50.15-26a)

 29ヤコブは息子たちに命じた。
 「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。 30それはカナン地方のマムレの前のマクペラの畑にある洞穴で、アブラハムがヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになった。 31そこに、アブラハムと妻サラが葬られている。そこに、イサクと妻リベカも葬られている。そこに、わたしもレアを葬った。 32あの畑とあそこにある洞穴は、ヘトの人たちから買い取ったものだ。」
 33ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。
 15ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。 16そこで、人を介してヨセフに言った。
「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。 17『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」
これを聞いて、ヨセフは涙を流した。 18やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、 19ヨセフは兄たちに言った。
「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。 20あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。 21どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」
ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。
 22ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、 23エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。
24ヨセフは兄弟たちに言った。
「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」
25それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。
「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
26ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。

🌸 答唱詩編 詩編105 典94 ①③

アレルヤ唱 典270 61

🌸 福音朗読 (マタイ10.24-33)

マタイによる福音
 24弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。 25弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
 26「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。 27わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。 28体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 29二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。 30あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 31だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
 32「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。 33しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 派遣される弟子たちに向けられたイエスの言葉、「恐れるな。」かつて、主の呼びかけを受け、それに応えていった預言者たちも、主から同じような言葉を聞いた。「恐れるな」と神からしつこく言われるのは、人間が本質的に恐れを抱いて生きているからだろう。たしかに、人間は多くのものに対して恐れを抱いている。自然の激しい破壊を伴う力、人間を襲う野獣、意識的に自分を敵とみなして攻撃してくる敵。文字通りの暴力に加えて、外部から加えられる批判、侮辱、陰謀、無視といったものへの恐れ。さらには、自分の中に潜む、失敗やあやまちへの恐れ。
 イエスの弟子には、そうした本能的な恐れに加えて、イエスの弟子であることに伴う恐れがある。イエスの招きに従って、イエスに追従することで、人々がいだく恐れがある。イエスをあしらったように、イエスの弟子たちに対して、人々は悪口を浴びせ、迫害する。自分たちの教えと異なり、自分たちに対する脅威となることを信じて生きるがために、イエスの弟子は人々から迫害される。
 しかし、イエスは言う、「恐れるな」と。
 かつて読んだ曽野綾子さんの小説の中で、心にずしりと響く言葉があった。それは、「人間が恐るべき唯一のものは、神ご自身だけである」という言葉。これは、裏を返せば、神への正しい恐れを知る者にとって、恐れるべきものは一つもない、ということではないだろうか。そんな不動な確信をもって生きる恵みを祈ろう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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