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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第十二主日(6/20)

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なぜ怖がるのか。まだ信じないのか

マルコ4:40
集会祈願

天と地の主である神よ、大きな変化を遂げる現代社会にあって、教会はいつもあなたの力強いことばに導かれています。きょう心を合わせて祈るわたしたちが、あらゆる悪の力を退け、ゆるぎない信仰をつちかうことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (ヨブ38.1、8-11)

1主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
8海は二つの扉を押し開いてほとばしり
母の胎から溢れ出た。
9わたしは密雲をその着物とし
濃霧をその産着としてまとわせた。
10しかし、わたしはそれに限界を定め
二つの扉にかんぬきを付け
11「ここまでは来てもよいが越えてはならない。
高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。

🌸 答唱詩編 詩編107 典40 ⑥⑦⑧

  神のいつくしみをとこしえに歌い、
   主のまことを代々に告げよう。

沖に向かって船出する者、
海を渡ってあきないする者、
彼らは大海原で
神の不思議なわざを見た。  【答】

彼らが苦悩の中から神に助けを求めると、
あらしは静められ、海はなぎとなった。
神は彼らを目ざす港に導かれ、
彼らは静かな海を渡った。  【答】

人の子らよ、神のいつくしみと
その不思議なわざに感謝せよ。
民のつどいで神をあがめ、
長老の集まりで神をたたえよ。 【答】

🌸 第二朗読 (二コリント5.14-17)

 14〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。 15その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
 16それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

アレルヤ唱 典272 12B 

アレルヤ、アレルヤ。偉大な預言者がわたしたちのうちに現れ、神は民を訪れてくださった。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マルコ4.35-41)

マルコによる福音
 35その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 36そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 37激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 38しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 39イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 41弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

奉納祈願

信じる者の希望である神よ、救いに飢え渇く者の声に、あなたは必ず耳を傾けてくださいます。キリストの食卓を囲むわたしたち一人ひとりを祝福し、豊かないのちで満たしてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

神よ、勝利と力はつねにあなたのものです。恵みの糧で養われ、新たにされたわたしたちが、恐れや不安に打ち勝ち、神を信じる喜びをすべての人に示すことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 コロナの感染状況がかなり改善され、多くの都府県に出されていた緊急事態宣言が解除され、教会でのミサもいよいよ来週から再開されることになりました。これは喜ばしいことですが、だからと言って、わたしたちの生活に様々影響を残したコロナ禍のことをすべて忘れ去ってよい、ということではありません。

 今なお、病床に伏しておられる方、コロナの影響で仕事を失ったり、収入が減って、悲惨な状況に置かれた方がおられることも忘れることはできません。油断をすれば、再燃し、第5波がやってこないとは限りません。しかし、わたしたち教会に集う者にとって、教会に行けない、ミサがない、聖体をいただけない、集会が持てない、仲間と楽しく過ごすことができない、といったことが何を意味していたのかをあらためて考えることは、とても大事なことだと思います。

 昨年の3月ごろから始まった、これほど大規模で長く続く新型コロナ感染症という災禍は、わたしたち皆にとって初めての経験だったと言ってよいでしょう。それは、り患した方だけでなく、そうでない圧倒的多数の人々にとって、それまで当然と思っていたことの一つ一つが奪われ、様々な制約が課され、予想もしない不自由な状況に突き落とされる経験でした。それは、まさに湖の上で嵐に遭ったイエスの弟子たちの経験に似たものだったと言ってよいでしょう。

 この不規則な状態の中で、教会に足を運ぶ機会が減り、仲間に会う機会もなくなり、頼りにしていた聖体の秘跡に与ることもなくなり、喜びも張り合いもなくなり、無力感と失望の中で、神様からも置き去りにされたと感じた方もおられたでしょう。これを機に教会からすっかり足が遠のいてしまった方もおられるかもしれません。そんな状況は、嵐の湖の上で、波に翻弄され、眠っておられるイエスに「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と叫んだ弟子たちの状況と重なります。それでも、神は導きの手を休めることはありません。「黙れ、静まれ」と言われたイエスの言葉によって湖が静まったように、わたしたちを悩まし続けたコロナもいつの日か必ず、収まるときが来るのです。

 神の民の歴史には似たような経験がありました。約束の地に入って繁栄を享受していたイスラエルは、それまでの栄光が嘘のような王国の崩壊と他国への捕囚と言う、それまでに経験したことのないみじめさを味わいました。しかし、その体験を通して、神の不思議なわざによる救いを経験し、祖国の復興、また、旧約聖書の成立という、素晴らしい恵みが与えられました。イスラエルの歴史を振り返り神を賛美する詩編作者は歌います、「人の子らよ、神のいつくしみとその不思議なわざに感謝せよ。彼らが苦悩の中から神に助けを求めると、あらしは静められ、海はなぎとなった」と。不思議な招きを受けてイエスの弟子となった人々は、あれほど慕い、尊敬したイエスの十字架の死によって、すべてが崩れ、失われた思いを経験しました。しかし、そのイエスが復活し、共に生き働いておられることを、聖霊の注ぎを通して確信し、洗礼によって新しい神の民となった教会の歩みを始めたのです。

 今、コロナ禍の終焉が少し見えてきたわたしたちにとって大切なことは、このコロナ禍の中で体験し、心に深く刻まれたことを忘れないことです。コロナを通して、わたしたちは自分の小ささ、弱さ、無力さを感じました。同時に、教会に集う者同士の絆、交わり、互いに対する配慮、気遣い、わたしたちの生活を支えている無数の方々の存在に気づかされました。しかし、それ以上に、こうした小さくされた人間を受け入れ、愛し、期待を寄せられる神の変わることのない愛を感じたのではないでしょうか。これからの日々がどのようなものになるかわかりません。その中で、主が、地上を去って行かれたときに語られた言葉、希望を与える言葉を胸に進んでまいりましょう。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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