非営利団体のボランティアのために祈る (12月)

復活節第七金曜日(5/21)

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ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか

ヨハネ21:17
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録25.13-21)

 13〔その日、〕アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。 14彼らが幾日もそこに滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。「ここに、フェリクスが囚人として残していった男がいます。 15わたしがエルサレムに行ったときに、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。 16わたしは彼らに答えました。『被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはローマ人の慣習ではない』と。 17それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、わたしはすぐにその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるように命令しました。 18告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。 19パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。 20わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました。 21しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼をとどめておくように命令しました。」

🌸 答唱詩編 詩編103 典93 ④⑦

アレルヤ唱 典267 ④

🌸 福音朗読 (ヨハネ21.15-19)

ヨハネによる福音
 15〔イエスは弟子たちに御自分を現わされ、食事を共にされた。〕食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 ティベリアス湖畔での不思議な漁に続く、弟子の一人ペトロに絡む話。ペトロと言えば、12使徒の筆頭に揚げられる人物だが、ご存じの通り、イエスが捕らえられて裁きにかけられる前に、大祭司の屋敷で、見とがめられ、イエスを知らないとシラを切った男。
 イエスは食事の後で、ペトロに向かい、「ヨハネの子、シモン、わたしを愛しているか」と問われる。師を否んだあやまちから、いっそのこと、どこかに身を隠そうと思っていたかもしれないペトロに、イエスはあえて問われる。しかも、三回も、同じ言葉で。ペトロは「はい」と断言できず、「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答える。イエスは、即座に言われる、「わたしの小羊(羊)を飼いなさい」と。
 復活された主イエスは、ペトロの思いを確認するだけでなく、ペトロに大きな使命をお与えになる。負債を帳消しにするだけでなく、身に余るほどの尊い使命を授けられる。ペトロの答えは、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを。あなたはよく知っておられます」と。さらにイエスは言われる、「あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」と。
 わたしたちの人生もそうかもしれない。不本意な歩みを続け、あげく、思いもしないところに送られ、そこで、人々の世話になり、生を全うする。主の望みを実現するのは、そのような人こそふさわしいのかもしれない。(S.T.)

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