小教区の教会のために祈る (1月)

復活節第七火曜日(5/18)

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永遠の命とは、イエス・キリストを知ること

ヨハネ17:3
集会祈願

🌸 第一朗読 (使徒言行録20.17-27)

 17〔その日、〕パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。 18長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。 19すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。 20役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。 21神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。 22そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。 23ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。 24しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
 25そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。 26だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。 27わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。

🌸 答唱詩編 詩編68 典34 ④⑤

アレルヤ唱 典267 ⓶

🌸 福音朗読 (ヨハネ17.1-11a)

ヨハネによる福音
 1〔そのとき、イエスは〕天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。 2あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。 3永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 4わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。 5父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
 6世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。 7わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。 8なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。 9彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。 10わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。 11わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 先週の月曜日から昨日までヨハネによる福音の16章に語られる主イエスの説教が読まれました。今日からは17章に入り、主イエスの荘厳な祈りという個所が読まれます。主イエスは次のように祈っておられます。「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。」

 この言葉を読みつつ、本当に大きな恵みを知らされています。私たちは、まず何よりも神のものであり、同時に神から主イエス・キリストに与えられたもの、つまり、主イエス・キリストのものでもあります。原文では「選び」という言葉はなく、神が「世からわたしに与えたものたち」と記されているそうです。いずれにしろ、私たちが神のもの、キリストのものです。キリスト者であるということは、神が決定し、神がなして下さった業だと、主イエスは言われるのです。このことが決定的なことです。

 従って私たちがキリスト者であること、または私が司祭であること、それは私たちが決めたことではなく、神が決めてくださったことなのです。同時に主イエスが受け止めてくださったことです。そして、私たちがキリスト者であり続けていることもまた、主イエスの祈りに応えて、神が守って下さっているからなのだと思います。そうでなければ、私たちが今もこうして互いに、共に感謝の祭儀を捧げること、一緒に祈ること、家族の間に祈ること、また神を信じること、そして神の恵みにおいて働くことが出来るはずはありません。

 私たちは、そのことの有難さ、忝さ、安心、喜びを感じます。私たちが今も豊かに生きること、安心を感じることが出来ることの背後にも、主イエスの祈りと神の守りがあるのです。主イエスがいつも私たちのためにとりなしてくださることを感謝する同時に、心を開いて、聖霊に導かれ、勇気を出して神の愛を証しすることができますように。

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