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教皇の意向: 新たな殉教者 (3月)

四旬節第四木曜日(3月18日)

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モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ

ヨハネ5:46
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト32:7-14)

出エジプト記

〔その日、〕7主はモーセに仰せになった。「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、 8早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる。」 9主は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。 10今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。」 11モーセは主なる神をなだめて言った。「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。 12どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。 13どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか。」 14主は御自身の民にくだす、と告げられた災いを思い直された。

🌸 答唱詩編 詩編130 典62①③

アレルヤ唱 典261⑬

🌸 福音朗読 (ヨハネ5:31-47)

ヨハネによる福音

 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕31「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。 32わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。 33あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。 34わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。 35ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。 36しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。 37また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。 38また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。 39あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。 40それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
 41わたしは、人からの誉れは受けない。 42しかし、あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。 43わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。 44互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。 45わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。 46あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。 47しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の福音箇所の少し前に、エルサレムの神殿の門の傍にある池の端で、38年も病気に苦しみ、イエスに癒してもらった人の話がありました。そして、それを目撃したユダヤ人は、それが安息日だったこと、また、その後でイエスが「わたしの父」という言葉を発したことに躓いて、イエスを迫害し、殺そうと狙うようになった、とありました。
 今日の箇所は少々わかりにくいですが、こういうことではないでしょうか。「証し」という言葉が何度も出てきました。洗礼者ヨハネの証し、イエスが行う業による証し、イエスを遣わされた父なる神の証し、聖書の証し等。証し(=証拠)は法廷用語で、ユダヤ人は、そうした法律や裁判に通じた人々です。
 イエスは、自分を非難するユダヤ人に対して、敢えて、法律用語を用いて自己弁護をします。自分がだれであるかを証しするものがこれほどある。しかし、あなたがたは、どれによっても信じようとしない。それは、「あなたたちの内には神への愛がないから」と言われます。
 心当たりがないでしょうか。信じることができないとき、人間は、証拠を求めます。しかし、信じようとしない人、信じたくない人は、いくら証拠を示しても信じることができません。信じるためには、理屈を超えた「愛」が必要なのです。そして、その愛は、自分の力で勝ち取る者ではなく、もっぱらへりくだった心で神からいただくものなのです。その愛がいただけるよう祈りましょう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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