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教皇の意向:女性の役割 (4月)

四旬節第三金曜日(3/8)

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あなたは、神の国から遠くない

マルコ12:34
集会祈願

🌸 第一朗読 (ホセア14:2-10)

ホセアの預言

〔主は言われる。〕
2イスラエルよ、立ち帰れ
あなたの神、主のもとへ。
あなたは咎につまずき、悪の中にいる。
3誓いの言葉を携え
主に立ち帰って言え。
「すべての悪を取り去り
恵みをお与えください。
この唇をもって誓ったことを果たします。
4アッシリアはわたしたちの救いではありません。
わたしたちはもはや軍馬に乗りません。
自分の手が造ったものを
再びわたしたちの神とは呼びません。
親を失った者は
あなたにこそ憐れみを見いだします。」

5わたしは背く彼らをいやし
喜んで彼らを愛する。
まことに、わたしの怒りは彼らを離れ去った。
6露のようにわたしはイスラエルに臨み
彼はゆりのように花咲き
レバノンの杉のように根を張る。
7その若枝は広がり
オリーブのように美しく
レバノンの杉のように香る。
8その陰に宿る人々は再び
麦のように育ち
ぶどうのように花咲く。
彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。

9ああエフライム
なおも、わたしを偶像と比べるのか。
彼の求めにこたえ
彼を見守るのはわたしではないか。
わたしは命に満ちた糸杉。
あなたは、わたしによって実を結ぶ。

10知恵ある者はこれらのことをわきまえよ。
わきまえある者はそれを悟れ。
主の道は正しい。
神に従う者はその道に歩み
神に背く者はその道につまずく。

🌸 答唱詩編 詩編81 典162④⑥

アレルヤ唱 典260(3C)

🌸 福音朗読 (マルコ12:28b-34)

マルコによる福音

 〔そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。〕「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 29イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 30心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 31第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」 32律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。 33そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」 34イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 生涯の終わりが近づき、エルサレムに来られたイエスは、神殿の境内で、ユダヤ人が投げかける様々な質問にお答えになった。今日のテーマは、律法の中心は何かということ。
 イエスは答える。律法の中で、第一の掟は、「神である主を愛すること」。そして、第二は、「隣人を自分のように愛すること」。どちらも、律法の中にはっきりと記され、律法を学んだ人ならだれでも知っていた答えである。なぜ、イエスにそうしたことを問うたのだろうか。
 そもそも、神を愛するとはどういうことか。第一朗読のホセアの預言に、一つの答えがある。「主に立ち帰ること、そのために悪を捨てること、アッシリアに救いを期待しないこと、軍馬に乗らないこと、自分の手で造ったものを神と呼ばないこと。」それは、まさに神を神とすること、神でないものを神としないこと。人間はとかく、神でないものを神のように大事にし、自分を失うまでに、それに信頼を寄せようとする。
 律法学者たちは、律法をこと細かく守ることを大事にし、人々にもそれを要求した。その反面、神の言葉を聞き、神に心を開くこと、神が自分に期待しておられるかを知り、それを行おうとしなかった。すべきことは明らかであり、自分はそれを行っている。そんな考えに捉われていたのではないか。ある意味で、神を自分の都合で操作できるものにしてしまった。
 イエスは、そうではなく、今、生きていてあなたに語りかける神に心を開いているか、自分ではなく、神に基準を置いているか、と問う。「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛する」と言いながら、その実、自分で作り上げた判断基準で、さらに言えば、自分自身を愛しているのではないか、と。
 隣人愛についても、同じことが言える。「隣人を自分のように愛する」と言いながら、ありのままの隣人、自分と同じように、思い、望み、好み、都合、感情をもった相手を、いつの間にか、自分の判断、自分の考え、自分の都合で、愛していると思い込み、その実、自分自身を愛しているのではないか。
 「どんな焼き尽くす献げ物やいけにえにもまさる」と言われた、神への愛、すべてを越える神、生きた真の神にふさわしい礼拝を捧げることができるように、真の神に立ち帰る恵みを祈ろう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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