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教皇の意向:女性の役割 (4月)

四旬節第三主日(3/3)

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わたしは主、あなたの神、

出エジプト20:2
集会祈願

🌸 第一朗読 (出エジプト20:1-17)

出エジプト記

 〔その日、〕1神はこれらすべての言葉を告げられた。
 2「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 3あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
 4あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 5あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、 6わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
 7あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
 8安息日を心に留め、これを聖別せよ。 9六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、 10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 11六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。
 12あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。
 13殺してはならない。
 14姦淫してはならない。
 15盗んではならない。
 16隣人に関して偽証してはならない。
 17隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」

🌸 答唱詩編 詩編19 典124①②③

🌸 第一朗読 (一コリント1:22-25)

使徒パウロのコリントの教会への手紙

 〔皆さん、〕22ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、 23わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、 24ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。 25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

アレルヤ唱 典260(第三主日B)

🌸 福音朗読 (ヨハネ2:13-25)

ヨハネによる福音

 13ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。 14そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。 15イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、 16鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」 17弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。 18ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。 19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。 21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。 22イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
23イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。 24しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、 25人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 3月に入り、卒業式や年度末の忙しい時期、教会も、四旬節も半ばになり、いよいよ復活祭を迎える心に磨きをかけるときです。

 今日の福音は、当時のユダヤ人の信仰の中心であるエルサレム神殿での出来事を記したヨハネ福音書が読まれました。神殿が、犠牲に捧げる動物を売り買いする人、そのための両替をする人でごったがえしていたとき、イエスが突然人が変わったように激しく怒りに燃えた場面です。この出来事は、すべての福音書に記されていますが、ヨハネ以外の福音書では、受難の直前、イエスがエルサレムに入城された後のこととして描いています。しかし、今読まれたヨハネ福音書では第2章、公生活のごくはじめのこととして記しています。なぜでしょうか。

 ルカをはじめとして、共観福音書では、イエスの生涯を「ガリラヤからエルサレムへの旅」としてとらえる傾向がありますが、ヨハネはむしろ、イエスは祭りのたびに、何度もエルサレムに上られたことを記しています。それは、ユダヤ人がそれほど大事にしたエルサレム神殿に対する尊敬と愛を共有されたからでしょうか。ソロモン王の時代に最初の神殿が創建されたとき、「列王記」が記すように、そこは神が自らの名を置くために選ばれた場所で、そこに向かって祈るとき、聞き入れてください、とソロモン王が神に祈った特別な場所として、イスラエルの人々から尊崇されてきました。しかし、イスラエルにはバビロニアの攻撃を受けて、神殿を含む、エルサレムの町が破壊尽くされた歴史があります。イエス時代の神殿は、ヘロデ大王が46年かけて修復したものと、ヨハネは記しています。

 しかし、イエスは、まさに、このイエスラエルの人々の信仰の要ともいうべき神殿で、人々が驚き慌てるようなふるまいに出られたのです。「縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このようなものはここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない』」と。マルコ福音書は、預言者の言葉を引用して、「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」と、さらに厳しい言葉を記しています。

 イエスはさらに、ユダヤ人たちの問いに答えて、「この神殿を壊してみよ。三日で立て直してみせる」と言い、一層、ユダヤ人たちの反感をあおります。この言葉は、裁きの場で、イエスを死罪にする一つの有力な証拠としてあげられたことをご記憶でしょう。ヨハネによれば、イエスは、その公生活のはじめから、ユダヤ人がそれほど大切に思ってきたエルサレム神殿が、もはやその使命を終え、それにかわる新しい神殿が生まれること、御自分がエルサレム神殿に代わる、新しい神殿であることを確信しておられたのです。イエスはサマリアの女との対話の中で、言われました、「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」と。そして、それは、まさに今であるとも言われます。ヨハネは、そのために、あえて福音書のはじめに、この劇的な神殿での出来事を記したものと思われます。

 エルサレムの神殿は、事実、紀元70年、ローマ軍によって滅ぼされ、その後再建されたことはありません。しかし、それに先立って、新しい神殿が生まれる前に、イエスは苦しみを受けなければなりませんでした。ヨハネは、そのことについて、「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」と解説します。つまり、エルサレムの神殿に代わる新しい神殿であるイエスが、苦しみを受けて死に、葬られ、三日目に復活することを暗示しておられたのです。しかし、弟子たちは、復活されるまでそのことを理解することができませんでした。

 わたしたちは今、新しい神殿である教会に集っています。しかし、はたして、ユダヤ人が神殿に抱いていたような愛と尊敬をもって教会に集っているでしょうか。エルサレムの神殿に負けないような立派な教会は、世界中どこにも見られます。しかし、はたして、わたしたちには、イエスがもっておられたような「あなたの家を思う熱意」があるでしょうか。「わたしの家はすべての人の祈りの家と呼ばれるべきである」という言葉に恥じない集い方をしているでしょうか。もしそうでないとすれば、教会は単なる集会所、歴史的建造物として保存されるだけになってしまいます。

 今日の第一朗読では、十戒について記した出エジプト記20章から読まれました。十戒というと、正直、どこか古い、厳しい掟の印象があります。昨年発行された『十戒・主の祈り』という題のフランシスコ教皇の講話集の中で、教皇は一つ一つの掟について深い思いを述べておられますが、まず、最初に目が留まったのは、「十戒(Decalogue)は十のことば」だという言葉です。今日の箇所の最初の言葉がまさに、「神はこれらすべてのことばを告げられた」です。モーセの掟は、掟である前に、神のことば、十のことば、生ける神が人に語られる、ことばだということです。あらためて十戒に盛られた意味を味わってみましょう。

 そして、今日の第二朗読では、パウロの手紙の言葉が読まれました。「わたしたちは、十字架に付けられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。わたしたちが何を信じ、何によりどころを求めているか、自分をしっかり見つめ、いただいた信仰からくるまことの喜びと希望をもって歩んで行けますようお祈りいたしましょう。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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