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教皇の意向:修道士・修道女と神学生の養成 (5月)

年間第五火曜日(2/7)

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あなたたちは神の言葉を無にしている

マルコ7:13
集会祈願

🌸 第一朗読 (創世記1.20~2.4a)

20神は言われた。
「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ。」
21神は水に群がるもの、すなわち大きな怪物、うごめく生き物をそれぞれに、また、翼ある鳥をそれぞれに創造された。神はこれを見て、良しとされた。 22神はそれらのものを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ。」
23夕べがあり、朝があった。第五の日である。
24神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」
そのようになった。 25神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。 26神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
27神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
28神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
29神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。 30地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。 31神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
1天地万物は完成された。 2第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 3この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。
4これが天地創造の由来である。

🌸 答唱詩編 詩編8 典48 ①②

アレルヤ唱 典270 23C

🌸 福音朗読 (マルコ7.1-13)

マルコによる福音
 1〔そのとき、〕ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。 2そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。 3――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、 4また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。―― 5そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」 6イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。
『この民は口先ではわたしを敬うが、
その心はわたしから遠く離れている。
7人間の戒めを教えとしておしえ、
むなしくわたしをあがめている。』
 8あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」 9更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。 10モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。 11それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、 12その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。 13こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日の個所は、「汚れ」の問題を契機として、掟そのものの意義を問う話。汚れの考えは、イスラエルの宗教だけでなく、日本古来の宗教やイスラムの中にも強く表れている。神社に行けば、礼拝の前に必ず手を洗い、口を漱ぐ「手水舎」がある。モスクにも、手や足を洗う水場が設けられている。
 聖書に見られる「汚れ」についての定めは、本来、衛生上のものではなく、祭儀に関するもので、神殿で奉仕する祭司や、巡礼のために定められたものだが、バビロン捕囚後、より広く解釈されるようになった。異邦人との違いを鮮明にするため、より広範囲、かつ、詳細に規定が定められ、厳しく守られるようになった。それが、「神の言葉」ではなく「昔の人の言い伝え」、「人間の言い伝え」というものだろう。
 食事をする前に、手を洗わないことで弟子たちが、ファリサイ派の人々や律法学者から非難されたことを受けて、イエスは、「汚れ」そのものに対する考えを問われた。預言者イザヤの言葉を引用してイエスは、言われる、「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の教えとしておしえ、むなしくわたしをあがめている」と。コロナの感染がようやく収まりつつあるが、感染が始まったころ、いたずらに神経質になり、ミサへの参加も制限された時期があった。そうした中で、はたして感染防止に努めるあまり、祭儀の本質を忘れ、神への賛美と感謝、兄弟に対する愛の務めを後回しにしてきたことはないか、神の御前で問い直してゆかなければならないのではないか。(S.T.)

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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