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手を伸ばしなさい

マルコ3:5
集会祈願

🌸 第一朗読 (ヘブライ7.1-3、15-17)

1このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。 2アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。 3彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
15このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。 16この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。 17なぜなら、
「あなたこそ永遠に、
メルキゼデクと同じような祭司である」
と証しされているからです。

🌸 答唱詩編 詩編110 典159 ①②

アレルヤ唱 典272 36

🌸 福音朗読 (マルコ3.1-6)

マルコによる福音
 1〔その時、〕イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 2人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 3イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 4そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 5そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 6ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 安息日は一切の仕事の手を休め、すべての良い物を与える神に感謝し、礼拝する日と定められている。ユダヤ人が試練の連続ともいうべき長く厳しい歴史の中で、アイデンティティーを保てた一つの理由は、安息日を守ったからだと言われる。
 翻って、キリスト者はどうか。ユダヤ教の安息日に相当する日曜日、主の日(Dominica)をどう守っているか。教会は、かつて、(そして今も)日曜日のミサ参加を義務とし、守るべき日として大事にしてきた。社会が大きく変わり、日曜日にも仕事や行事があることも少なくない。世俗化した社会、非キリスト教社会において、日曜日は、単なる休日に過ぎない。この日をどう守るか。一方で、一部のプロテスタント教会(学校)のように、一切の行事を入れないという態度もある。(伝統的なカトリック教会にも、そうした傾向があった)その反対に、世間の人々と同じように、日曜日であっても、仕事は優先すべきと考える人もいる。
 どちらにも、良い点があるが、現実的な態度はどこに求めたらよいか。特に、今のように、コロナ禍で、公開ミサが行われない状況で、どう生きて行けばよいか。多くの方がいだく疑問だろう。イエスが示された模範は、安息日であれ、苦しんでいる人がいるなら、その人に寄り添い、その人のために時間をさくこと。その結果、日曜日の務めを果たせなくとも、よし、とする。どこかで、祭儀を通していただく恵み、少なくとも、み言葉の恵みをいただくこと、祈りをささげること、それはだれにでもできるのではないか。(S.T.)

年間第二水曜日(1月20)
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