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主の栄光が周りを照らした

ルカ2:9
集会祈願

聖なる父よ、あなたはこの神聖な夜を、まことの光キリストによって照らしてくださいました。闇に輝く光を見た私たちが、その喜びを永遠に歌うことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたと共に世々に生き、支配しておられる御子、私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (イザヤ9:1-3,5-6)

イザヤの預言

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
2あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。
3彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように
折ってくださった。
5ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
6ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

???? 答唱詩編 詩編96 典148①④⑤

答: 遠く地の果てまで、
   すべての者が神の救いを見た。

新しい歌を神にうたえ。
世界よ、神に向かって喜び歌え。
神の名をたたえて歌い、
日ごとに救いを告げ知らせよ。 【答】

天地は喜びにあふれ、
海とそこに満ちるものは叫びをあげる。
野とそこにあるものはどよめき、
森の木々は声をあげて、神の前で歌う。 【答】

聖なるものが現れるとき、神をおがめ。
世界よ、神をおそれよ。
神は来られる、世界をさばきに来られる。
正義とまことをもって、
すべての民をさばかれる。 【答】

???? 第二朗読 (テトス2:11-14)

使徒パウロのテトスへの手紙

〔愛する者よ、〕すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。 12その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、 13また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。 14キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

アレルヤ唱 典258(主の降誕夜半)

アレルヤ・アレルヤ。大きな喜びをあなた方に告げ知らせよう。きょう私たちに救い主が生まれた。アレルヤ・アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ2:1-14)

ルカによる福音

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」

奉納祈願

全能の神よ、喜びのうちにこの供えものを捧げて祈ります。人の子としてお生まれになったキリストに結ばれて、信じる者が神の子どもとして成長することができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

聖なる父よ、救い主の降誕をともに喜び祝う私たちが、日々の信仰の歩みによって、独り子のいのちにあずかることができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 クリスマスおめでとうございます。と申し上げながらも、今年はいつもと違う、どこか、もろ手をあげて「おめでとう」と言えない雰囲気を感じているのはわたしだけではないでしょう。歌もなく、ろうそくの点火もなく、子どもたちの行列もなく、ミサ後のパーティーもありません。今日、こうしてわたしたちがクリスマスのミサを捧げている瞬間にも、病床に伏して苦しみと戦っておられる方、病人の治療やお世話に休む暇なく働いておられる医療従事者、そして、コロナの影響で、経営が難しくなったり、失業したり、この年末をどう過ごしたらよいか悩んでおられる方がたくさんおられることを忘れてはなりません。

 今年、2020年は、日本中が東京オリンピックの開催に向けて、大きな期待を膨らませていた年です。しかし、ふたを開けてみたら、新型コロナウィルス感染拡大によって1年延期となりました。そして、今、一向に衰えないコロナの前に、中止の声もちらほら聞こえるようになりました。

 そうした現実の中で、クリスマスをお祝いする意味はどこにあるのでしょうか。今お読みしたルカ福音書の中で、マリアとヨセフは、旅先のベトレヘムで不本意な出産を経験しておられます。9か月前に、天使のお告げを受けて以来、マリアはどれだけ熱心に祈り、日々の務めに励み、その日のために準備を重ねてこられたことでしょうか。しかし、約束された男の子は、旅先で、しかも、宿屋に空き部屋はなく、馬小屋の中で、お生まれになりました。野宿をしていた羊飼いたちに告げられたのは、「布にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子」がそのしるしだということです。何という結末でしょう。

 神は、いつもわたしたちの予想を超えた、時に裏切られたと思うような方法で、わたしたちのもとにお出でになります。神は人間の意表をつく方です。昔、イスラエルの民は、多くの民の中から選ばれ、み言葉を聞き、契約、掟、       そして、約束の地などを授けられ、来たるべきお方、救い主、メシアの到来に備えられてきました。しかし、時満ちてその方がお出でになったとき、イエスラエルの指導者たちは、自分たちが思い描いたメシアの姿とはあまりにも違うイエスに、裏切られた思いにとらわれました。力強い、敵を打ち滅ぼす力に満ちたメシアを期待したイスラエルの指導者は、あの十字架上で最期を迎えたイエスの姿を見て、すべてが終わったと思ったのでしょう。しかし、神の思いは違いました。あの謙遜で従順な神の僕イエスを、父なる神は立ち上がらせ、復活の命に導かれ、イエスを信じるものに、同じ不滅の命の保障となる聖霊を注がれたのです。

 神のなさり方は、人間の思いと異なります。人間の尺度でとらえようとすれば、必ずあやまることになります。クリスマスの神秘の中心はまぶねに眠る幼児です。小さく、弱く、無力で、人の助けなしに一日と命を保つことのできない存在に、あの永遠無限で、万物の起源であり、創造主である方が、自らを託されたのです。それは、だれもが恐れを感じることなく近づき、寄り添うことを可能にする、そのような存在に自らを低くされたということです。人間の知恵、人間の力では、全くとらえることのできない方が、弱さを知り、限界を感じ、無力の極みを自らのものとされたのです。

 それだけでなく、わたしたちは知っています。人となられた方は、人々の間でよい業を行い、人々に父なる神の愛を語り、貧しい人、病気の人、人々からのけ者にされている人に近づき、そして、十字架上でご自分のすべてを御父にお捧げになりました。人々の中でも、最も小さな無力なものとして、最後を迎えられたのです。それは、そうした生き方を通して、神が人々と共にある方であることを示し、さらには、自らをパンと同化されることを通して、世の終わりまで、神の国への希望を持ち続けることができるよう、人々が旅路を生きる糧として自らを教会に託されたのです。

 そのような方の誕生を今宵、わたしたちは感謝のうちに祝います。人間の思いをはるかに超える方が、最も近しい方になられた神秘を少しでも深く悟り、心に刻み、その喜びを日々の生活の中で生き、苦しみの中にある多くの人々と分かち合うことができるよう祈りいたしましょう。(S.T.)

主の降誕・夜半のミサ
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