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教皇の意向:周辺に追いやられて生活する人々 (9月)

年間第二十九主日(10月18日)

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皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい

マタイ22:21

2020年「世界宣教の日」教皇メッセージ

集会祈願

世界を治める唯一の神、すべての人を救いに導いてくださる方、あなたを賛美する民の集いを祝福してください。神こそ主であることを深く心に刻み、救いのことばに心を開くことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (イザヤ45:1、4-6)

 

1主が油を注がれた人キュロスについて主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれどの城門も閉ざされることはない。4わたしの僕ヤコブのためにわたしの選んだイスラエルのためにわたしはあなたの名を呼び、称号を与えたがあなたは知らなかった。5わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたがあなたは知らなかった。6日の昇るところから日の沈むところまで人々は知るようになるわたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない。

???? 答唱詩編 詩編96 典148②③⑤

答 遠く地の果てまで、
  すべての者が神の救いを見た。

すべての国にその栄光をかたり、
すべての民に不思議なわざを伝えよ。
神は偉大、ほむべきかた、
すべてを越えておそるべきかた。 【答】

諸国の民よ、神をほめ、
その力と栄えをほめたたえよ。
ささげものを携えて中庭に入り、
神の名をほめたたえよ。 【答】

聖なるものが現れるとき、神をおがめ。
世界よ、神をおそれよ。
神は来られる、世界をさばきに来られる。
正義とまことをもって、
すべての民をさばかれる。 【答】

???? 第二朗読(一テサロニケ1:1-5b)

1パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。2わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。 3あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。 4神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。 5わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。

アレルヤ唱 典270 29A

アレルヤ、アレルヤ。あなたがたはいのちのことばを保ち、ともしびのように世を照らしなさい。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (マタイ22:15-21)

マタイによる福音

 15〔そのとき、〕ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 16そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 17ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 18イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 19税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 20イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 21彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」

奉納祈願

万物の造り主である神よ、あなたからいただいたパンとぶどう酒を供えて祈ります。神のものをすべて神にお返しになったひとり子イエスの奉献に、きょうもわたしたちが固く結ばれますよに。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

すべてのものの主であう神よ、ともにあずかったキリストのいのちの恵みに感謝して祈ります。わたしたちがあなたの愛と正義に目覚め、一人ひとりにいのちが尊重される平和な世界を築くことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 今日は10月第三日曜日、年間第二十九主日で世界宣教の日を迎えてきました。今年の教皇メッセージのテーマは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ6:8)です。この日に当たって、教会における主イエスの使命に積極的にあずかる機会となっています。主イエスの使命は教会の使命であり、キリスト者である私たち一人ひとりの使命であります。これは主イエスの救い業を通して父である神の慈しみと愛を証しするという宣教活動です。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)という復活した主イエスの呼びかけに対して、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」という答えができますように、このミサを通して、お祈りしましょう。

 今日読まれたマタイ福音書の22章では、ファリサイ派の人々が主イエスを罠にかけようとして、ローマの皇帝への関係の問題について質問しました。主イエスは彼らの悪意に気付いて、「偽善者たちよ」と応じます。「偽善者」と呼ぶのは、彼らがお世辞を口にして近づいてきたからではなく、日常生活ではローマの硬貨を平気で用いながら、納税問題になると一変して敬虔ぶるからだと思われています。ローマの硬貨には、そのころ神格化されつつあったローマ皇帝の像と銘が刻まれていました。その硬貨を使用して税金を納めることは、イスラエルの神への背信行為となります。主イエスを陥れようとする者たちは、ローマへの納税については神への信仰を問題にします。けれども、ローマの硬貨を日常生活で使うことには何の疑問も抱いていません。皇帝を神の子とする銘が刻まれた硬貨を持ち歩く彼らは「口先では神を敬うが、心は遠く離れている」偽善者です。

 ところが、キリスト者である私たちは主イエスに従い、神を敬い、神以外他の物を礼拝しません。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(21節)。ある時、政治と宗教の領域を分けていますが、その関係は混ざっています。そしてある時、「政治の領域」と「宗教の領域」はお互いに関係なく、はっきりと分けられています。しかし、今の時代、特に、第2ヴァティカン公会議以降のカトリック教会は、人間の現実には何一つわたしたちの信仰と関係ないものはないと考えています。すなわち人間の現実すべてが神との関係の中にあるということは強調されています。

 どこに行っても、どんな活動をしても、神と結びつける必要があります。これは宣教活動の姿です。宣教とは、口先で、神の言葉を伝え、立派な宗教的なスピーチを行うのではなく、むしろ、主イエスの救い業を証しするのです。そのために、宣教者自らは主イエスへの魅力さを持ちながら、自分自身の計画や意志の力よりも、聖霊の働きへ心を開くことが大切です。

 だから、宣教は、神の呼びかけへの自由で自覚的な応答です。宣教者は、主イエスのように「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(マタイ8:20)、また弟子たちを派遣する時、主イエスが命令したように「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。」(ルカ9:3)、という態度を持たなければなりません。このような態度をもって、聖霊の働きに基づいて、主と共におられることを信じて、宣教活動のために教会や私たち自分自身が出向いていく使命を果たすことができますように、「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」という答えができますように深くお祈りしましょう。

2020年「世界宣教の日」教皇メッセージを読みたいならば、リンクをクリックしてください。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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