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招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない

マタイ22:14
集会祈願

 希望の源である神、すべての人を神の国のうたげに招いてくださる方。さまざまな思いを抱えてここに集まるわたしたちが、あなたの愛に気づき、ふさわしい心と行いでこたえることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (イザヤ25:6-10a)

 6万軍の主はこの山で祝宴を開きすべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。7主はこの山ですべての民の顔を包んでいた布とすべての国を覆っていた布を滅ぼし8死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。9その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。10主の御手はこの山の上にとどまる。

???? 答唱詩編 詩編23 典123①③④

答 主はわれらの牧者、
  わたしは乏しいことがない。

神はわたしを緑のまきばに伏させ、
いこいの水辺に伴われう。
神はわたしを生き返らせ、
いつくしみによって
正しい道にみちびかれる。 【答】

あなたははむかう者の前で、
わたしのために会食を整え、
わたしの頭に油を注ぎ、
わたしの杯を満たされる。 【答】

神の恵みといつくしみに
生涯伴われ、
わたしはとこしえに
神の家に生きる。 【答】

???? 第二朗読(フィリピ4:12-14、19-20)

12〔皆さん、わたしは、〕貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。 13わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。 14それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。 19わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。 20わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

アレルヤ唱 典273 28A

アレルヤ、アレルヤ。主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (マタイ22:1-14)

マタイによる福音

 1〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに〕たとえを用いて語られた。 2「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 3王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 4そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 5しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 6また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 7そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 8そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 9だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 10そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 11王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 12王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、 13王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 14招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」

奉納祈願

 いつくしみ深い父よ、心をこめて整えるこの食卓を祝福してください。主の愛の神秘にともにあずかる喜びのうちに、皆が一つになることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 ともに歩んでくださる神よ、あなたから遣わされる喜びを味わわせてください。キリストによってもたらされる救いをすべての人にのべ伝え、神の国のうたげへと招くことができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 マタイ福音書には、神の国のたとえがいくつも出てきます。主イエスの宣教の中心に「神の国」があって、それが人間の理解をはるかに超えるものであることを考えれば、当然かもしれません。今日の福音は神の国を「婚宴」にたとえた話です。

 「婚宴」と言えば、旧約聖書、特に、預言者の説教の中によく出てくるたとえです。「万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に良い肉と古い酒を供される」。「主はこの山ですべての民の顔を包んでいた布とすべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる」と言われます。「布」は、喪に服していた状態を表す言葉と言われます。つまり、イエスラエルの民が経験した苦しみや辱めから救い出される、あたかも死んだような状態から解放され、祝宴のような喜びで満たされることを予言する言葉です。それは、世の終わり(終末)に訪れる救いを物語る預言ですが、預言者は、それを通して、イスラエルの民を慰め力づける神の呼びかけを語るのです。

 イエスが生涯かけて伝えようとした「神の国」もそのような、神ご自身が用意される真の平和と喜びに満ちた世界を表す言葉です。イエスは、今日の福音の中で、神の国について「ある王が王子のために催す婚宴を催したのに似ている」と言われます。婚宴の準備がすべて整い、招待客を呼びに行かせたところ、招かれた人は次々に招待を断ってきたという話です。畑仕事や商売のためと、理由をつけて断ったり、無視したり、また、あるものは、使いを捕まえて乱暴し、挙句に殺してしまったとあります。大事な祝宴よりも、自分の都合、自分の思いを優先し、せっかくの機会を台無しにしてしまうのです。

 主イエスはこのたとえを受難が差し迫ったエルサレムの神殿で、当時の宗教指導者たちに向けて語るのです。それは、今、神から選ばれ、様々な恵みを受け、その呼びかけに、喜んで応じるはずのイエスラエルの民が、まさに、その呼びかけを無視し、さらには、その神の招待を身をもって伝えようとする、神の子を亡き者にしようとすることを暗示しておられるのです。事実、彼らは、イエスを捕らえ、裁きにかけ、十字架刑に処するため、異邦人の手に引き渡したのです。

 しかし、これは、遠い昔のことではなく、人類の歴史の中で繰り返され、そして、今も、わたしたちの人生の中で繰り返されていると言っても過言ではありません。神が人間に喜びを与えようとされるとき、あるいは、ご自分の喜びに人々を招いておられるとき、はたしてわたしたちは素直に喜ぼうとしているでしょうか。人の喜びを自分のものとして、共に喜ぶことをしているでしょうか。パウロは書きます、「喜ぶ人とともに喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12.15)と。たしかに、悲しむ・苦しむ人のもとに出かけて行って、慰めの言葉ひとつでもかけようとすることはあるでしょう。しかし、喜んでいる人のところに行って、共に喜ぶことは時にもっと難しいものです。かつて、聖母マリアがエリザベトのところに出向いて、自らとエリザベトになされた神の業を共に喜ばれたように、喜ぶ人と一緒に喜んでいるでしょうか。もしできないとすれば、何が妨げになっているのでしょうか。自分のことでいっぱいで、他人のことにまで心を向けられないからでしょうか。あるいは、相手に対する妬みの心で自分が小さく縮こまっているからでしょうか。あるいは、相手を尊敬する心にかけ、傲慢のために相手に心を開けないからでしょうか。振り返ってみましょう。

 わたしたちにとっての喜びの宴、それは主が残してくださった晩餐、ミサにほかなりません。コロナ感染症の予防のため、まだ完全な形でのミサへの参加ができないのは残念なことです。それでも、主は、招いておられます。様々な理由からミサに参加できないときも、親しい仲間とともに主を賛美することができないときも、主がお与えになる喜びを深くかみしめるときを持つようにいたしましょう。自分の小ささ、無力さを認め、主に心を開くとき、主はどこにいても訪れてくださいます。(S.T.)

年間二十八主日(10月11)
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