Facebook
Twitter
Facebook Messenger
Line
Pinterest
Send by Email
LinkedIn
Print

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。

1コリント13:4

聖コルネリオ教皇 聖チプリアノ司教殉教者

集会祈願

 全能の神よ、聖コルネリオと聖チプリアノは、牧者として献身的に尽くし、不屈の殉教者としていのちをささげました。聖人の取り次ぎを求めるわたしたちの信仰と勇気を強め、教会の一致のためにたゆまず働く力をお与えください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (1コリント12:31-13・13)

 31〔皆さん、〕あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
 1たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。 2たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。 3全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
 4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。 6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
 8愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 9わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。 11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。 12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。 13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

???? 答唱詩編 詩編33 典46①③

答 神の注がれる目は、神をおそれる者に、
  神の愛に希望をおく者の上に。

神のことばはただしく
そのわざにはいつわりがない。
神は正義と公平を愛し、
いつくしみは地に満ちている。【答】

神を王としていただく国、
神のものとして選ばれた民はしあわせ。
神は天から目を注ぎ、
人々をすべて見ておられる。【答】

アレルヤ唱 典269 35

 アレルヤ、アレルヤ。主よ、あなたのことばは霊であり、命です。あなたは永遠のいのちのことばをもっておられる。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ7:31-35)

ルカによる福音

 31〔そのとき、イエスは言われた。〕「今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。 32広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。
『笛を吹いたのに、
踊ってくれなかった。
葬式の歌をうたったのに、
泣いてくれなかった。』
 33洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、 34人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。 35しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」

奉納祈願

 父である神よ、聖コルネリオと聖チプリアノの殉教を記念してささげるこの供えものを受け入れてください。迫害のさなかに聖人を力づけたこの秘跡が、わたしたちのも困難なときの支えとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 いつくしみ深い父よ、主の過越の神秘にあずかったわたしたちの祈りを聞き入れてください。殉教者コルネリオとチプリアノの模範にならい、力強く福音をあかしすることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 イエスの嘆きの言葉が耳に響きます。牢につながれた洗礼者ヨハネについて賛辞を述べられた後、イエスは人々がヨハネに対して、さらにはご自分に対して示してきた冷ややかな態度について、たとえをもって語られます。広場で踊ったり、歌ったりしても反応がない子供たちの嘆きになぞらえて、洗礼者ヨハネの預言者としての真摯な姿勢にも、イエスの人々に開かれた態度にも、冷ややかな反応しか示すことのできない群衆の態度を嘆いておられるのです。

 もちろん、群衆の中にはヨハネやイエスの到来を歓迎した人々も少なからずいたでしょう。逆に、厳しい批判や反感、ひいては憎悪に満ちた反応を隠さない宗教指導者たちもおり、その間で、自分たちの生活に埋没し、まったく無関心を装う人々も少なくなかったのでしょう。きっと、そうした人々が、時流に乗せられて、イエスを受難へと導いた一つの要因となったのかもしれません。

 はたして、わたしたちはどんな反応を示しているでしょうか。ヨハネやイエスの存在だけでなく、彼らがかかわろうとしていた貧しい人々、虐げられた人々、ひそかに神の救いを待ち望んでいた人々に相当する、現代の忘れられた人々にどのような姿勢で近づいているでしょうか。マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と言われました。そんな言葉は、わたしたちに向けられていないと、はたして自信をもって言えるでしょうか。(S.T.)

年間二十四水曜日(9月16)
Facebook
Twitter
Facebook Messenger
Line
Pinterest
Send by Email
LinkedIn
Print
Tagged on:     

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です