10+

『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』

マタイ9:13

聖マタイ使徒福音記者

集会祈願

 すべての人の救いを望まれる神よ、あなたは限りないいつくしみをもって徴税人マタイを選び、使徒とされました。わたしたちも聖人の模範にならい、すべてを越えてあなたに従うことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

🌸 第一朗読 (エフェソ4:1-7、11-13)

 1〔皆さん、〕主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 2一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 3平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 5主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 6すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
7しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。
 11そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 12こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 13ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。

🌸 答唱詩編 詩編19 典147①②

答 天は神の栄光を語り、
  大空はみ手のわざを告げる。

天は神の栄光を語り、
大空はみ手のわざを告げる。
日は日にことばを語り継ぎ、
夜は夜に知識を伝える。【答】

ことばでもなく、話でもなく、
その声も聞こえないが、
その響きは地をおおい、その知らせは世界に及ぶ。
神は天に太陽の幕屋をすえられた。【答】

アレルヤ唱 典277(聖マタイ)

 アレルヤ、アレルヤ。あなたを神とほめたたえ、万物の主とあがめる。栄光を受けた使徒の群れも、あなたをたたえて歌う。アレルヤ、アレルヤ。

🌸 福音朗読 (マタイ9:9-13)

マタイによる福音

 9〔そのとき、〕イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 10イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 11ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

奉納祈願

 いのちの道を示してくださる神よ、使徒マタイの祝日に、この供えものをささげて祈ります。使徒たちの宣教によって信仰を受け継いだ民をいつくしみ深く顧み、導いてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

 神よ、聖マタイは救い主を家に迎え、喜びのうちに食卓をともにしました。わたしたちも主を迎え、救いの喜びにあずかって祈ります。義人ではなく、罪びとを招くために来られた主・キリストの食卓で、いつもわたしたちを力づけてください。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 今日記念する使徒マタイについて確認できることは多くありません。徴税人でありながら、主イエスの招きに応えて弟子、さらには、12使徒の一人となったことくらいです。

 マタイで一番顕著なことは、彼が徴税人として召し出しを受けたことです。他の12使徒は、ペトロ・アンデレ、ヤコブ・ヨハネが漁師であったことのほか、職業や身分についての記載はほとんどありません。

 「徴税人」という仕事は、当時ユダヤを支配するローマに収める税金を取り立てる仕事で、4世紀の教父クリゾストモが、「徴税人よりも嫌われた仕事はない」と記しています。福音書の中で、度々「徴税人や罪人」とまとめて呼ばれるほどでした。主イエスがそうした身分の人間と食事を共にし、弟子に、さらには使徒にしたということは驚くべきことです。

 マタイ自身どれだけ、自分を罪人として認めていたかわかりません。しかし、今日の福音にあるとおり、マタイは、主の言葉を聞いて「立ち上がってイエスに従った」のです。これは、それまでの仕事をすべて捨てて、まったく新しい道を歩み始めたことのしるしです。フランシスコ教皇が愛されたカラヴァッジオの描いた「マタイの召命」の場面を思い起こしましょう。

 自らを誇ることのできない、小さな、あるいは、罪人と認める人間を受け入れてくださる神の心を知るととともに、わたしたち自身、自らの小ささを認める心、主により頼む心が十分あるか弁え知る恵みを祈りましょう。

年間二十五月曜日(9月21)
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