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わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。

ヨハネ11:25-26

聖マルタ(7月29)

集会祈願

???? 第一朗読 (1ヨハネ4:7-16)

使徒ヨハネの手紙

 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 8愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 11愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 12いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

 13神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 14わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 15イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。 16わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。

???? 答唱詩編 詩編34 典128①②

アレルヤ唱 典

???? 福音朗読 (ヨハネ11:19-27)

ヨハネによる福音

〔その時、〕マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。 20マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。 21マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。 22しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」 23イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、 24マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。 25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

奉納祈願

拝領祈願

???? 分かち合い

 通常、マルタは、姉妹マリアと比べて、行動派で、マリアのような観想的な性格を持ち合わせない人のように思われがちだが、ヨハネは、それとは少し違う側面に光を当てる。

 今読まれた福音個所の少し前に記されている、病める兄弟ラザロについてのマルタの行動を考えると、そこには、どこか、カナの婚宴の席でぶどう酒がなくなったとき、聖母マリアがとった態度と似たところがある。マルタは、主イエスに兄弟を何とか救ってほしいと懇願するが、イエスは、すぐにそれに応じようとはせず、ラザロが死んだ後で、彼らのもとに行く。それは、もっと大きな神の業を見せるためだった。

 マルタは、自分の不十分な認識を表明しながら、主イエスの深い言葉を引き出すことに成功する。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」。「命」は、ヨハネ福音書の主要な概念であり、その神学の根本をなす言葉である。「命」は決して、死んだ概念ではなく、まさに、命を与えるもの、生かすものを表す言葉である。創造のはじめに、神が命の息を吹きかけて人間を造られたように、人となられた神の子イエスは、命を与え、生かすものとして、人々の中に生きられたのである。

 しかし、その命そのものである方は、わたしたちのために、死ぬものとなり、人が死を通して神の命に与る道を開いてくださったのだ。「あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであることを信じております」と言ったとき、マルタは、そのことを完全に理解していただろうか。

聖マルタのミサ
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