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教皇の意向:使命を担い合う (10月)

年間第二十五土曜日(9/28)

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イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いている

聖トマス西と15殉教者(記)

集会祈願

🌸 第一朗読 (コヘレト11:9~12:8)

コヘレトの言葉

9若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。
青年時代を楽しく過ごせ。
心にかなう道を、目に映るところに従って行け。
知っておくがよい
神はそれらすべてについて
お前を裁きの座に連れて行かれると。
10心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。
若さも青春も空しい。
1青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。
苦しみの日々が来ないうちに。
「年を重ねることに喜びはない」と
言う年齢にならないうちに。
2太陽が闇に変わらないうちに。
月や星の光がうせないうちに。
雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。
3その日には
家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。
粉ひく女の数は減って行き、失われ
窓から眺める女の目はかすむ。
4通りでは門が閉ざされ、粉ひく音はやむ。
鳥の声に起き上がっても、歌の節は低くなる。
5人は高いところを恐れ、道にはおののきがある。
アーモンドの花は咲き、いなごは重荷を負い
アビヨナは実をつける。
人は永遠の家へ去り、泣き手は町を巡る。
6白銀の糸は断たれ、黄金の鉢は砕ける。
泉のほとりに壺は割れ、井戸車は砕けて落ちる。
7塵は元の大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。
8なんと空しいことか、とコヘレトは言う。
すべては空しい、と。

🌸 答唱詩編 詩編90 典52 ④⑤

アレルヤ唱 典269 ㉙

🌸 福音朗読 (ルカ9:43b-45)

ルカによる福音

 43〔そのとき、〕イエスがなさったすべてのことに、皆が驚いていると、イエスは弟子たちに言われた。 44「この言葉をよく耳に入れておきなさい。人の子は人々の手に引き渡されようとしている。」 45弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには理解できないように隠されていたのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。

奉納祈願

拝領祈願

祈る花:Inoruhana
祈る花:Inoruhana

🌸 分かち合い

 受難の予告が続く。共観福音書は、合計3回、イエスが自ら受ける苦しみについて語っている。それは、弟子たちの理解力がなかった以上に、人間にとって受け入れがたい現実だからではないか。最も美しいものが、最も醜い形で最期を迎えるとは。
第一朗読は、『コヘレトの言葉』の最後の部分。かつて、ホイヴェルス神父が著した随筆『日本で40年』の中の「年をとるすべ」の章でこの個所を引用して、解説している。
 「番人」とは、手とか腕のことで、人は手で自分と自分のものを守り、働くのですが、年をとるとその手や腕は弱ってくるというのです。「力持ち」とは足のことです。年を取るとまず足が弱りかがみこんでしまいます。
 象徴的に描かれているところは、すべて、人間が老境において経験する、不自由と、みじめさに溢れたものです。しかし、そのすぐ後に、御自分がドイツに帰った時に友人から送られたという詩を紹介している。題して、「最上のわざ」。
「楽しい心で年をとり、働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになうー-。
人のために働くよりも、けんそんに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であることー-。
老いの重荷は神の賜物。
・・・
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
 それは祈りだー-。・・・」 (S.T.)

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御言葉の典礼を読み続く🌸

聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
どうぞよろしくお願い致します。

3 comments

  1. 祈る花の写真を見てはっとした。
    真っ白の美しい花。
    谷間の白百合
    相田みつをの詩にもあった。
    今、9月27日朝5時半。
    谷間の白百合
    見ればほっとする
    詩編23をくちずさみたくなる

  2. 結局9月24日土曜日は謙遜に基づき祈れというアビラの聖テレジアの教えに反しか教えを徹底しか不明だが、歌は祈りの十倍?深夜、蛮勇と脇の甘さを持って出かけて行った。実家地元で深夜歌うと言えば純という名の女がいる場。
    そもそもあれは2015年、隣町のベトナム大衆食堂で喰っている時、隣席の高校教師にフィリピンパブは怖いという我が偏見を告白する。優しく否定し我が貧乏をも洞察した師はナントの勅令?五千円を貸してくれた。終電で地元に戻りコンビニパンでイクサの準備し突撃!ハタチの我が同志カトリックと出会う(後日隣町ミサ直後振り向けば再会。互いに爆笑し握手。だが当該小教区フィリピン女軍団と若干の冷戦)。まもなく閉店。我が同胞日本人男店長と交渉するも決裂。女同志と離別。一人15の夜。闇の中ぽつんと光るカラオケパブ発見!突入!
    ってわけで純愛の純発見!
    まあともかく2022年9月24日土曜日は知らぬうちに過ぎていて25日朝まで歌い帰宅。仮眠朝食取り無事地元主日リアル・ミサに与る。
    以上我が闘争でも我が逃走でもなく我が告白というか我が青春!

  3. むなしい、とは則ち充満。地に落ちた一粒の麦。
    分かち合いが見事に証明している。
    私事だがホイヴェルス神父は直接お会いしたことはないがパウロのように会っている。東日本大震災の前年夏、飛び込んだ地元教会のキャンプで、よい意味で落ち着きのないエネルギッシュな小1くん発見!彼の父母と思っていたら祖父母だった夫婦はホイヴェルス神父によって結婚。そもそもその小教区、東京教区やフランシスコ会の神父やホイヴェルス神父の支援により創立。創立期、東京から来たホイヴェルス神父と初対面のおばあちゃんが突然「わたしゃ、あんたに惚れた!洗礼を受ける!」と。
    東日本大震災後、私自身ホイヴェルス神父の弟子の弟子の医師に「病気ではないから薬は処方しない。但し、一週間徹夜で断食したりしないこと」と直言を頂いた。
    とにかく祈りの人や祈りは世間的良し悪しを超越する!
    ああ怖い!まんじゅう怖い!?

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