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教皇の意向:女性の役割 (4月)

年間第三十四火曜日(11月24)

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すべての者が神の救いを見た

詩編96

聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者

集会祈願

諸国民の父である神よ、ベトナムの百十七殉教者は、自らの血によって御子の十字架に最後まで従う信仰をあかししました。殉教者の取り次ぎを祈るわたしたちも神の愛を隣人に伝え、神の子どもとして成長することができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

???? 第一朗読 (黙示録14.14-19)

 14わたし〔ヨハネ〕わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。 15すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」 16そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。17また、別の天使が天にある神殿から出て来たが、この天使も手に鋭い鎌を持っていた。 18すると、祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は既に熟している。」 19そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。 20搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。

???? 答唱詩編 詩編96 典148 ④⑤

答 遠く地の果てまで、
  すべての者が神の救いを見た。

天地は喜びにあふれ、
海とそこのに満ちるものは叫びをあげる。
野とそこにあるものはどよめき、
森の木々は声をあげて、神の前で歌う。 【答】

聖なるものが現れる時、神をおがめ。
世界よ、神をおそれよ。
神は来られる、世界をさばきに来られる。
正義とまことをもって、
すべての民をさばかれる。  【答】

アレルヤ唱 典274 ⑦

アレルヤ、アレルヤ死に至るまで忠実でありなさい。わたしはあなたにいのちの冠をあたえよう。アレルヤ、アレルヤ。

???? 福音朗読 (ルカ21.5-11)

ルカによる福音
 5〔その時、〕ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。 9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」 10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。

奉納祈願

聖なる父よ、ベトナムの殉教者を記念してささげるこの供えものを受け入れてください。困難の中にあっても、わたしたちがいつもあなたに忠実に従い、み心にかなうささげものとなりますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

拝領祈願

命の源である神よ、殉教者の信仰を記念し、一つのパンに養われて祈ります。あなたの愛のうちに一つに結ばれたわたしたちが、永遠の喜びに入るまで、力強く歩み続けることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

祈る花:Inoruhana

???? 分かち合い

 エルサレム神殿の擁壁を見ると、この完璧に出来上がった巨大な石積みとその上にそびえる神殿が崩れ去るとは、全く想像もできなかったはず。しかし、イエスはそれが「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と言われる。そして、実際、鉄壁と思われた擁壁の一部がローマ軍によって破壊され、神殿は焼き尽くされた。
 そうしたことは起きる、しかし、「世の終わりはすぐには来ない」とイエスは言われる。「終わり」というものは、この世に生きる限り、日々経験することだが、人間は自分の人生の終わり、ましてや、世界の終わりなど考えようとしない。また、逆にそのことばかり考えていれば、何も手につかなくなる。
 しかし、人間は、いつか終わりが来る「時間」の中で生きている。人間存在そのものが、時間の中に置かれたもの、と言うべきかもしれない。そこに生きる限り、時間から逃れることはできない。その時間の中に、時間を超えた永遠なるものが入って来られた、そこに、わたしたちの信仰の原点がある。時間の中に生きながら、時間を超えたものとかかわりをもつことがゆるされたのは、人間が時間を超えたのではなく、永遠が時間の中に入って来られたからだ。それが、間もなく迎える、神の子が人となるー降誕―という神秘の意味である。そして、時間の中に入られた永遠が、十字架の死を通して、再び永遠の世界に戻られることにより、時間の中に生きる者が永遠と結びつく道が開かれたのだ。
 すぐには来ない「世の終わり」を考えるとき、そのような視点を持つことができたら幸いある。

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聖書の本文は日本聖書協会発行の「新共同訳聖書」を使用しております。
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